テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

集中力と適切な長さについて、『天保十二年のシェイクスピア』を例に

この前、研究所の同期に借りっぱなしにしていた『天保十二年のシェイクスピア(以下、『天保』)』のDVDを見た。
シアターコクーンで行われた蜷川幸雄演出の舞台でざっくり言うと、シェイクスピア(昔のイギリスの有名な劇作家だよ)の全作品をあれやこれや組合わせて一本の作品にしている。
オタク的にいうとパスティーシュというかアベンジャーズというか本来出会うことのなかったそれぞれの作品が同じ世界を共有するというのは中々燃える。
あと出演者が豪華。蜷川幸雄アベンジャーズみたいなところがあり、お得感がある。

戯曲を読んだ時の感想はこれ。
http://beplum.hatenablog.com/entry/2018/05/17/193725

このブログではかなり面白くて褒めてるが、その面白さの大部分は舞台版ではスポイルされていた。
というかこの戯曲、あまりにも長すぎて上演用に書き直しが行われており、その判断は適切ではあるものの、『天保』がもつ病的なまでのシェイクスピア批判のセリフ(私がなぜ今これを言っているかと言いますとね、みたいなノリで役者が喋る。メタがすごい)がまず真っ先に削られている。
蜷川幸雄演出のダイナミズムで場面場面の盛り上がりはあるものの散漫というか、DVDでみたせいで集中力も足りず全然ノリきれなかった。
試みとして《シェイクスピア全作品を網羅的に登場させた侠客講談》は読み物なら大成功だが、上演する時はそれと同種のグルーヴが出せてなかった。
オールスター的な配役の妙や歌と踊りでテンションは高めでいきましょう、な演出は興行的には魅力だがいささか散発的になってたと感じる。
今度高橋一生浦井健治出演でやるらしい。宮川彬良が音楽をやるとのことなので曲も新しくなるのかもしれん。
ちなみに劇団☆新感線版というのもあるがそれはまだみたことない。

でここまでは前置きで、人間の集中力と適切な長さについて考える。
まず前提として人間の集中力はそれほど続かず、LINEとかTwitterとかに代表される瞬発的で短期的なコミュニケーションがさらに集中力を短くすると仮定する(ごめんなLINEもTwitterも好きだぜ)。
次に長い作品を腰を据えてみることができなくなった原因を最近の僕の体調から考えると脳機能の低下、体力の低下などが挙げられる。

脳機能が低下すると作品から得られる感動、
言い変えれば幸せ報酬感を得るのがだるくなる。
でも脳は楽しいものを供給しないと死んだままなので軽めの幸せ報酬感から得ていく。
以下その段階。
LINEでの会話
Twitterでのリプライ
YouTubeの動画みる

人によってはこれがタバコやコーヒーやごはんやガムを噛むや猫を撫でるやスマホゲーになる。
Twitterでヘイトを垂れ流すのはよくないぞ!
一個一個の善し悪しではなくて人によっての快には段階があるという話をしとるよいま。

ほんで人間は人生でいちばん時間を使っとることを優先せんと生きていけんので、多くの場合はここに仕事を代入する。
すると「大人になると子供の頃好きだったものが楽しめなくなる」といういつものアレが発生する。
楽しめないのがいいとか悪いとかではなくてなんで楽しめなくなるんかの話をしとるよ、いま。

集中力の段階が短いものから長いものに移るとき、人は大人になったと言うが、大人になると集中力がなくなるとも言われてしまい、どっち?と思う。
どっちも正解なのでそれについてはぐじゃぐじゃ言わん。

ここまで読ませて悪いけど結論は出てなくて
寝られんけん下書きをいじっただけなんよな、悲しいことに。
また続き書く気になったら続き書くね、ごめん。