テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

やっとわかる、既読スルー

既読スルーが分かってきた。

前はなんで返してくれないんだろう、嫌われてるのかなとしか思ってなかったけど
好き嫌いじゃなくてストレスのかかった状態だと他人にエネルギー使うの無理だわってなる。誰がって脳が。

他人じゃないじゃん、友達じゃん
他人じゃないじゃん、恋人じゃん
他人じゃないだろ、先輩後輩だろ

こういうありふれた関係性の文脈で無限に繰り返されてきた既読スルー。そこには現実のコミュニケーションなら「ごめんごめん、忙しくて」で済むはずのなにかが欠落して、無用の悲しみを生み出している。
人間は自分の物語しか読めないので、1度既読スルーは失礼という呪文を読み込むとそれ以外は許容できなくなる。

昔、僕は誕生日キチガイだった。
友達の誕生日をなるべく覚えておいて0時ちょうどにお祝いのメールをする。いまじゃFacebookやLINEの通知に押されているが、おれの誕生日祝いは人力のぬくもりがあった(そんなものはない)。
大学時代はこれがLINEに変わった。
他人を喜ばせるのが嬉しかった僕はとりあえずお祝いを続けたが、次第に問題が起きる。
①自分の誕生日も同じようには祝われない
当たり前である。なぜならお前は誕生日キチガイで他の人は誕生日キチガイではないのだ。
②そもそも祝われたくない
誰もが自分の誕生日をめでたいと思ってる訳では無い。
③祝う人と祝わない人を可視化すると悲しい気持ちを発生させるので、所属するコミュニティ内では業務的に祝い始める。真のお祝いとはほど遠い。
④お祝いするのすごいね、と感心する人があると誕生日キチガイを肯定されたと誤解し、どんどんエスカレートする。実は誕生日を祝いたいのではなく、誕生日を知ってる友人からのありがとうを引き出したくてやっていたのではないか、と思う。
すると反応がでかい方が楽しくなるので比較的お気持ち読み取りゲームに習熟している女子にばかり送ってしまう。
年1回しかないチャンスなので遠くに住んでる友達ならいいけど現実で会う友達に見返りを求めたらどんどん楽しくなくなる。
自分の誕生日が1年間の成績発表みたいになる。
大人は誕生日を祝わないというが、他人に割くエネルギーがどんどんカットされて生命維持に、あるいは仕事の人間関係に注力するようになるからだろう。Facebookが余計なことをするせいでわらわら祝いが加速したりする。

ここで最初の既読スルーの話に戻る。
自分に向けられた感情に適切に対処するにはかなりエネルギーを使う。
友達なので無下にはしにくい。日常の雑事にかまっていたらついつい返しそびれてしまう。
そこを分からずに延々とLINEを送ることがあった。
心配してるからとか好きだからとかその相手に今までかけてきた感情や時間が多いほどよかれと思ってやってしまう。地獄への道は善意で舗装されている

今日の反省としては
・無料の承認欲求獲得装置に他人を使わない
・いままでそういうふうにして迷惑をかけてしまった人たち、ごめんなさい
これらのことが、学べたので大学に行っておいてよかった。

既読スルーされてもいいから誕生日祝いもっかい始めようかなと思う。
もう僕の機嫌をとらずに済んでるからほっとしてる人からしたら軽いホラーだろう。気をつけなくてはいけない。