テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

昨日の反省

昨日のブログを読み返してみて書いてる時は楽しかったような気がするが、結局ぼくも女子をダシに文章を書きたかっただけで
しかも自分が経験した訳でもない人の痛みについてあれこれ考えて書いてもなにも意味ないなと思った。出す例えもいちいち古かったと思う。

社会変革に役立つ訳でもないのに自分の気持ちよさのために本当に悲しんでる人をダシにするなんて最低だと思う。やはりネットの義憤みたいなやつは醜悪だ。
別に褒められたい訳でもないし、思ったことは全部本当だけど、男が代弁者気取って悦に浸るって形を変えた搾取でしかないと思ったら急に申し訳なくなった。気づいたことを自由研究よろしく発表したいだけやなーみたいな。

とりあえず叩きやすいから高須院長の名前を出してみたが、やってることは嫌いだったネトウヨ的手法でしかない。
中年男性への憎悪がひどいのはトラウマのなせる技なのかもしれないけど、じゃあこの場合中年男性の悲しみは理解できないかと言うとそうではないし。

辺野古にいって泣いたら許せるかというとそうではない、浪花節は好きではない。
DVする人でもたまには抱きしめるという話もあるし、壊れた時計でも日に2度は正しい時刻を表示する。

すべての人に優しくできるわけじゃないから自分の思想信条は変えない、というのも勝手だけど
いま僕が踏みつけたものの音を僕は忘れられない。


ナチスが好きな院長とか憲兵のコスプレでこの世界の片隅にのイベントに来た人とかやっぱりおかしいと思う。
でもこういう時、当事者は物事の善し悪しじゃなくて感情の嬉しい嫌だでしか受け止めなかったりして幼稚は幼稚だと思うが一生分断されるんかなと思う。

なにが言いたいんかわからんくなってきた。

とりあえず一々人に絡もうとしないだけよかった。
それでも読んでイヤだった人はごめんなさい。