テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

土嚢を積んだ日

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生まれて初めて被災した。
命は無事です。家族も家も無事。断水してるので生活は不便。

実家に戻ってきて1週間、例の西日本豪雨の影響で父が住職をしている寺の裏山が崩れて土砂が流れてきた。

阪神淡路とか中越とか東日本とか熊本とか地震のニュースを見る度、うわーと思うしかなく、どこか知らない街の他人事のように思えていたニュース映像が身近になってしまう。
瀬戸内は地震があまり来ないし、台風も山地に挟まれててあまり強くなく、四年前の広島豪雨も局地的でまさか自分のところも困るとは思ってなかった。

まず匂いが変わってて驚いた。
長雨のあとの土砂はやや湿っていて、今まで嗅いだことのない匂いをしていた。ドブほど腐ってもないし、花を活けた水をほったらかしにしたのにも似た匂いがした。
なによりも見知った光景を土砂が上書きしているので、以前の光景がまだ思い出せる分びっくりする。
高二の夏(2011年の夏だ)岩手の陸前高田に新聞部の取材で行った時、うずたかく積まれた瓦礫とか基礎だけの住宅街に電信柱と電線だけが続いてるのとかみてもいきなり爆心地の写真を突きつけられたみたいで生活感がなくて不気味だった。
人間が暮らしていた痕跡はあっても、生活がわからなくて怖かった。

今回の雨で土砂が20cmくらい積もってて溝が埋まっている。先月ドブさらいを手伝った時は砂の粒が細かかったけど、今日のは土って感じで重たかった。

土嚢袋はバケツの口に袋の口を開いてなんとなく固定して土をいれる。満杯にすると運べないので半分くらいで縛る。暗喩的だなと思った。
今日は溝をどうにかして終わった。クソ暑いので20分動いたら20分休むという人道的な労役だった。どんだけ水飲んでも汗で持ってかれて怖かった。
昼寝もしたけど視神経が痛くなった。
夏はくそ。四季があるとかどうでもいい。


たぶん半年もしたら断水の苦労とか忘れてしまうのだろうけど、当たり前にあると思ってたことのありがたみというか、恵まれすぎてたなあと思った。
感謝するまでの余裕はない。とりあえず自分は恵まれすぎてたなということが最近の怖いこと。
なんも考えずに東京におれた頃は幸せだった気がするけどよく分からない。ぼくはどうして実家にいるんだろう。
文化財はかろうじてあっても文化や娯楽はなにもない田舎で、ダサい服を着るくらいなら死んだ方がましだと常日頃思っていた僕がお気に入りのスニーカーで泥を歩いてしまう夏。

田舎を言い訳にだけはしたくない。丘サーファーも『すっぱいぶどう』も大嫌いだ。