テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

砂の器がわれて

砂の器のことばかり考えている。
松本清張の原作小説も面白いけど野村芳太郎の映画の方。

あれをミステリーだと思ってたのは初めて原作小説を読んだ時で、あれを悲劇だと思ったのは新文芸坐の特集で『ゼロの焦点』と2本立てで見た時だった。
砂の器』も『ゼロの焦点』もとどのつまり過去からは逃げきれないという映画だった。

過去からは逃げられない、というのはとても悲しい事実で、人は変われる生き物だと思っていた僕にしてみればついこの前までは物語の中の他人事だったのに、砂の器がボロボロボロボロとこぼれて中に満ちていた液体がみるみるこぼれていった。誰も器を直すことも出来ず、なすすべもなく地べたにシミが広がるだけだった。

僕は誰も殺してないし、カメダだかカマタだか訛ってる知り合いもいない。丹波哲郎演じる刑事に執念深く追いかけられもしないし、緒形拳演じる心根の優しい巡査にお節介されてもいない。
そもそも加藤剛ほど整ってない。芸術的才能もない。悲壮なテーマ曲も流れない。
僕はやっぱり人を殺したのだと思う。
3年前に誰にも相談せずに東京に出ることに決めた、10ヵ月前に胃酸を吐いていた、半年前にそれでもまだ思い出になりたくないと切望した、3ヵ月前にこれが僕なりの恩返しなんだと信じて戦った、あの日あの時あの瞬間の自分というものの息の根を僕は止めてしまった。

redemptionをモットーに生きようと思っていたけど普通に生きることさえ人並みにできない。
野心が枯渇して、何がしたいのかも分からない。
会えなくなるのがいやで頑張った人たちに合わせる顔をなくした。
なにをするのも申し訳ないけど、もう少しだけ生きていさせてもらいます。

おやすみなさい。