テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

今日もおろおろ泪橋

やっぱり生きるのに向いてない。
そういう自虐や自傷は百害あって一利なく、傷痕をネットで開陳して耽溺する芸風も巷に溢れているし、もういいやという思いがある。

昨日はあまりに胃が重いので病院に行って、先生に診察されて話をしてたらうっかり泣いてしまった。
その前の日には自虐してもしなくても能力が増減することはないし、結局認識の問題だからクヨクヨ考えてもダメになることもよくなることもないじゃん、とらしくもない悟りを得たものの、結局考えることからは逃げきれず、呼吸が浅くて苦しかった。

去年の今頃のブログを読むとよく分からない焦燥感が懐かしくもあり、それが前兆のようにも読めて、こうして続けて書く意味もあるのかなと思った。
季節の変わり目にも弱いし、稽古で詰められるのにも弱いのは何も変わっていない。
めぐる季節の速さと頭では大丈夫と思っても苦しみ始める自分の体の正直さが恨めしい。
毎日毎日彫りつけるように書いていた去年の夏のブログは読み返すと引きづられそうで怖い。
自分の中の傷や毒の拓をとるみたいにして文字にしてみて何かが癒されたような、なにも解決してないことを再確認する日々は辛かった。文字にもできない辛さもあるとわかってきて悔しい。

ぼくは物語に生かされている人間だけど、ぼくは物語みたいには生きられない。
同じところをグルグルしては疲弊している気がする。
この4月5月のがんばりは気のせいだったのだろうか。体さえ無事なら、という思いを果たせたはいいけど、やっぱり体は無事じゃない。
昨日の夜は柄にもなく実家に帰りたいと母に泣きついてしまった。
逃げ場がない、あとが無いと思うんですというと病院の先生はまだ若いのにと笑った。

でもこのまま動けなくなって半年前のあの馴染み深い泥沼に戻るのが嫌だからすぐに病院に行って胃薬を貰ったわけで、なんとか乗り切りたい、乗り越えたい。
その切実さ痛切さだけは胃の痛みよりも深いと思うんです。

誰にともなくする言い訳。
そんなところです。