テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

行ったぜ!ジブリの大博覧会

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ただいま兵庫県立美術館で開催中の『ジブリの大博覧会』展に行ってきた。
先日高畑勲監督がこの世を去り、長編制作を諦めたのか諦めきれないのか駄々っ子な宮崎監督は相変わらず。実はジブリで一番活きがいいのは鈴木敏夫プロデューサーなんじゃないかなと思う展覧会だった。
今までジブリ関連だと岡山シティミュージアムであった山本二三展(ジブリの美術を長年務めた山本二三さんの原画展)とか江戸東京たてもの園であった『ジブリの建造物展』(千と千尋の油屋やトトロのメイとサツキの家のジオラマなどの展示)、江戸東京博物館であった『想い出のマーニー展』(種田陽平氏の美術の再現のやつとか)などにいったことがある。三鷹の森にはまだいったことがない。チケットが買いにくいからだ。
やはりジブリの名を冠すると並ばずにはおれないのが性なのか、そのように日本テレビに調教されたからなのか、宮崎駿高畑勲を国民作家にせしめたのはやはり鈴木敏夫という博徒の手腕なのかなーと思った。ジブリという職人集団において渉外や広告戦略に長けた鈴木Pは本当になくてはならない存在だと思う。
押井守富野由悠季がオタクの信仰対象になり得たのとは対照的に、高畑勲宮崎駿という人間的にも思想的にも作風的にもかなりクセが強い人物を国民の大半が愛してやまないおじいちゃんにしたのは日本テレビの、と言うか徳間書店のパワーなのだろうか。僕はここに広告というものの凄みを感じずにはいられない。
深く広く潜って掘り進めるのが好きな生き物を昼日中の日の下に引っ張り出してなおその生き物を生かさず殺さず、たくさん銭を集めて儲けられるというのはそれだけで偉大な才覚である。スタジオという器が才能の受け皿としてちゃんと機能したからなのかなーと不思議に思う。
展覧会の中には鈴木敏夫の仕事机が再現されたブースもあり、大きな机と本棚が欲しくなった。
ポスター製作にまつわるメイキングがたくさん展示されていて鈴木Pと糸井重里人間性が現れまくった手書きのFAXや手紙の展示は色んな意味で胸が躍った。糸井さん、字が永遠の少年。

映画というのは虚業中の虚業、現実にはないものをあるが如く創り出し、人々を熱狂させる運命を背負っている。
そこにあって企画立案、スタッフ招集、制作進行、宣伝のすべてにコミットする鈴木Pは宮崎駿高畑勲に勝るとも劣らなぬ変わり者だと思う。ぼくは角川春樹が好きなのだけど、あの人とは別種の山師感、洗練された詐欺師の風情を感じる。
ジブリの大博覧会と銘打つだけあって、先述のポスターメイキングだけでなく、非売品のポスター、バナー、グッズ、社員たちのスチール、社員旅行のしおり、ナウシカやトトロの企画書まであって、とても満足した展覧会だった。
ネコバスにも乗れたが混んでたのでやめた。
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かわりに『天空の城ラピュタ』冒頭に出てくる天空都市の民が作った空飛ぶ船のジオラマが光ったり動いたりめちゃくちゃ凄くて度肝を抜かれた。マンマユート団のタイガーモスの模型とかもあり、楽しかった。

とにかくジブリはすごい。その凄さは不可逆な時間の中で過日の栄光と見なされる類のものなのかもしれない。元々高畑・宮崎両氏の監督作を作るスタジオなわけで、その役目は終えたのかもしれない。
新作を作るよりも知的財産の管理に重きを置かれるようになるのかもしれない。
そんなことを考えたりした。

そしてまた、猿まわしの猿と猿回しはどちらが主体なのだろうかとも思った。
猿をなしに猿まわしはできないが、猿だけでも芸はできない。
猿を回すやつが偉いのか、回ってやる猿が偉いのか。
自分は果たして自らを回し、回ることが出来るのだろうかと、また詮無いことを考えたりもする。
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