テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

ロケットは気合で飛ばない

昨日、裏方で転換をするために舞台袖に待機してたらそんなことを思った。

ロケットは気合で飛ばない。
地球の重力圏を脱出するのは火事場の馬鹿力でも土壇場の気合でもなく、綿密な計画と緻密な計算である。
演劇に関して一般的にどういうイメージをもたれているかは定かではないが、蜷川幸雄やつかこうへいがその醸成に寄与した「灰皿を投げる演出家」みたいなものはまだ絶滅したわけではなく、僕は演出家机にあったビニテやリップクリームを投げた人を知っているし、なにより不用意に怒鳴るのは十分暴力だと思う。

感情表現をするから必然的に熱がこもることはある。
だけれども役者は感情を使役するから役者なのであって、必要以上に感情的になる人間はやや微笑ましく、かなり悲しい。
NASAをみよ。JAXAをみよ。
科学技術の粋を集めて空を飛ぶロケットをみよ。
ロケットはあれだけの燃料を燃焼させてそのでくのぼうみたいな図体を飛翔させる。それはなにもでくのぼうが気合で頑張っているわけではなく、各セクションが発射までの確度を上げたが故の成果だと思う。
演劇、というより集団作業はかくあるべしと思う。
一人の人間では成し遂げられないことを成し遂げるために集団作業をしているのだから、一人ひとりが知能の限りを、言葉の限りを尽くすべきであって、ワガママをみんなで黙って許すのは気色が悪い。

無論、計算だけでは伝わりきらないものはたしかにあり、それは気合や熱ではなく鬼である。
目に見えぬなにか大きなものとしての鬼は表現に宿らせなければならない。
計算というより人事を尽くすことで鬼は確実に宿ると僕は思う。

まぁなんというか今日は僕の出番の日なのでそんなことを考えました。
稽古は本番のように、本番は稽古のように。
点火まで10、9、8、7、6……