テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』とかいう回忌法要

※本稿は『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』をみてしんどくなりすぎた気持ちを逃がすための文章です。内容に触れるというよりは質感の捕獲を目的としていますが、未見の方を見る気にさせたり、見た人とうまく共有できる類のものではないです。

インフィニティ・ウォーしんどくない????
まじでしんどい。語彙力がおいてかれる。
ルッソ兄弟マジでえらすぎる。ケビン・ファイギもやばい。リュミエール兄弟とかコーエン兄弟とかと同じくらいえらいよルッソ兄弟
なんていうか見てる間、謎の同窓会感、結婚式感、葬式感、がそれぞれあり、とても情緒がついていかなかった。エンドロールに入った時、え、もう終わりなの、というのが正直な感想で150分なんて体感2秒だった。この10年かけて広げた大風呂敷がシュシュシュっとなっていくのは意味がわからず、涙も出ず、呆気に取られてぼーっとした。肉親の訃報を聞いた時と同じ程度の虚脱。
大学で映研に入った時からMCUを追い始め、もう6年の付き合いになる。発足からのファンではないけど近年のお祭りには欠かさず参加してきたと思う。
で、謎の同窓会感といったのは中学校の友達と高校の友達と大学の友達が「おれの友達」という繋がりだけで集ったような同窓会じみていて、あのガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々がアベンジャーズと張り合ってる様子なんかは「あ、お前らそういう感じか、かわいいな、仲良くしてな」という気持ちになった。そこらへんのリレーションシップのおかしみ、おもしろみみたいなのは『アベンジャーズ』1作目の時と同じかそれ以上のフレッシュさがあった。ドクターストレンジの相変わらずの気位の高さとかスターロードのボンクラ感はジェームズ・ガン以外にも演出できるんだ!という驚きとか、ピーター・パーカー愛おしすぎとか頼もしく可愛かった。

でもでもでもでも。
そういう幸せな結婚式感、見ず知らずの人の結婚式にでてもとりあえず幸せそうであーよかったねーハッピー!ってなる、いままでの交際期間のこととか振り返ってあー色々あっていま結ばれたんだねーという気持ちは音もなく忍び寄る死によって断絶する。

まーじでサノス、サノッさんがえぐい。
さんざん焦らしてなんしよったんやいままでとか思ったけど、まじで偉大な男やった。ヴィランだけどヒーローというか、自分のなすべきことのためにはすべてをなげだす覚悟を決めてるタイプの悪役。悪いヤツではない。自分が正しいと思ってるタイプのサイコ。自己犠牲とか厭わないタイプ。
ヒーローと同じ素養を持ちながら、ヒーロー以上に生命の価値観が異常な存在。
人口の半分を無作為に消すためにインフィニティストーンを集めるってのは動機こそやばいけどほぼ少年漫画の主人公の理論だと思うし、『インフィニティウォー』は実質『マイティダディ・サノス』って感じ。TwitterでPTAの『ゼアウィルビーブラッド』って言ってる人がいて、なるほど!と思った。やがて哀しきヤクザ道な感じね。あれも前半の子供とのやりとりが後半のツラミになるしさ。
本当にこの10年はサノスという傑物のための出汁でしかなかったのではないか、ぼくがあんなに好きだった鰹節、昆布、しいたけ、いりこたちもすべて旨みを出すための素材でしかなかったのではないか、という呆気なさ。
ヒーロー映画というよりシネマティックコミックって感じで、生きてるうちにこんな作品というか事象と出会えるとは思ってなかった。西部劇ブームとか80年代の大作映画とかリアルタイムでは知らなかったけど、このMCUはたぶん映画史に残る偉大な事績で、ぼくはそれに立ち会ってるのだと思った。


で、回忌法要ですよ。
僕は実家が寺なのに祖父の葬式にも3回忌にも出そびれていて、なんというか本当にダメなんだけど、その時に限って体がいうことをきかなくなる。
なんていうか、親族とか一族郎党とかが揃っているのにそこに自分がいないという感覚、自分は残されてるのに死んだ人のことを悼まないといけない、というのがわりと負担。定期的に供養・回向をするのは大事なことなんだけど。
次の回忌法要にはちゃんと出たいと思う。たぶんトニー・スタークも同じ気持ちだと思うんだ。
次は誰も死なせない、みたいな。いやうちのじいちゃんは死んでるけど。

マジでやばい。しんどい。2回目みたら、またなんか書きます。
つづく