テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2018-01-06のディラン


「ヨイヨイのジジイみるみたいな目ぇしやがって!!」


いきなりこんな文言を書いてしまい、自分でもどうかしてると思う。
でも今日の夕方くらいからずっと頭の中でこのワードが鳴り響いていて口に出してみたくてしょうがなかった。
さすがにこんな差別的な罵倒語を日常で耳にすることはなく、誰かに向かって言ってやりたくなったわけではないのだが、頭の中をグルグルグルグル駆け回っていた。
できれば実写版『3月のライオン』の有村架純演じる香子が言う「負け犬を見るみたいな目で見やがって…!」と涙を湛えながら搾りだすあの感じで言いたい。

今日は楽しいことが2つあった。
夏にもあった高校の40年先輩のおじさまと高校の同級生2人との食事会。前回「次は新年会だな」とおじさまがおっしゃっていて一昨日声がかかったのでこのために帰京したところがある。もちろんそれだけじゃないのだが、割に実家の居心地がよく、実家アレルギーや風邪も治ってこのままここにおったら体調も整うのでは?などと思い始めた矢先、それでもやっぱり僕は東京で生きていくんやと思いながら帰ってきた。
ごはんを食べたりコーヒーを飲んだりしたけど、僕は同級生2人に比べて失礼というか遠慮がないというか、話を聞きながら箸を動かしたりコーヒーを飲んだりしてしまう。お行儀よく話を聞けない。自覚は出来たけどだからといって注意されるほど失礼ではなかったのでそのままにした。でもきっとおじさまの周りはきちんとしたビジネスマンばかりなのだろうし、わざわざこんな若造たちと食事をするのだからかしこまられても楽しくないのではないか、などといらぬ想像をしながらそこにいた。大先輩ではあるけれどすぐ怒るようなおっかない人ではないし、こんな大人になりたいと思える数少ない大人だし、なにより想像していたよりも会えるのが嬉しく「次いつ会えますか」と口走りそうになったがそれは自重した。
よく噛んで背筋を伸ばして食べれば人並みに食べられることを帰省でいまさら学んだのでそのようにした。
おじさまを見送って同級生と3人で夏以来でお茶をした。2人とも夏より僕の体を心配してくれ、早く売れろと発破をかけられ面白かった。あまり人に会わない方がいいのかなと思っていたが、会って話せば楽しかった。楽しくて喋りすぎたのかカフェインのせいなのか、ややフラフラしたが、なんのこれしきとリポビタンを飲んで稽古場へ向かう。

行きの電車で不意にディラン・トマスの「Do not go gentle into that good night」というあの一節が頭をよぎる。本当にふいに。

今日は稽古場でバラシの手伝い。
アトリエは広い分、居場所のなさや仕事のなさを味合わずにすみ、去年の暮れの惨めさはなかった。単に僕が少しだけ回復してきただけなのかもしれないが、それが1番大事なのかもしれない。特に親しく声をかけられた理由でもない。いつも通りの接し方をされてそれで不満を覚えないのは心の卑屈さがやや伸びやかになってきたからではなかろうか。
声をかけられなかった人も目を合わさなかった人もいたけど別にそのくらい普通では?と思えた。なにしろ今日はバラシの日なのだ。
係の仕事も同期に助けられながらそれなりに出来た。
この半年ではじめて稽古場をあとにして楽しかったと思った。その旨をすぐさま家族にLINEするくらいには楽しかった。どれだけ心配されてるかも帰省してやっと肌感覚としてわかった。
稽古場に行く時の書き文字効果音は〈おめおめ〉だったのだが、もうすぐそれも変えられそうな気がする。
その証拠に冒頭のぶっそうな文言が心を占めたのは心の不健康さからではなく、反撃の狼煙としてテストステロンが出てる時の好戦的な気分に近い。

また焦るとすぐ凹むので様子を見ながらやっていく。
ヨイヨイだろうがジジイだろうがどう見られてようがまだ死んでねぇから、死なねぇぞ。

Old age should burn and rave at close of day,
Rage, rage against the dying of the light.