テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-12-21の左眼はよく痙攣する

今日は起きてから2時間ほど布団から動けなかった。

それでもお風呂に入って、支度して家を出る。

いつもの病院で半年に1度の採血をする。
採血の前におそめの昼ごはんを食べてしまったのだが、血糖値のこととかまったく考えてなかった。食後40分くらいは経っていたけどどーなのだろう。
次回の診察予約をする。次はもう来年だ。
まだ今年を振り返るには早い気がするが、あまり振り返りたくない。
ことあるごとに振り返ってはいるが、今年はよくなかった。
去年が初舞台と試験と合格と上京と色々充実していたこともあり、比較してしまうとやるせなくなる。
映画のベストテンもそろそろ出したいとはおもうのだが、意欲も集中力もないので取りかかれない。

今日は稽古終わりにバラシがあるので稽古場に向かう。
昨日はアトリエの方のバラシがあったらしいが声をかけてもらえなかった。配慮と捉えるか信用を失っていると捉えるかよく分からないので考えないことにする。どちみち行けなかったから関係ない。
行きの電車で前にこのブログでも紹介した小林エリコさんの『この地獄を生きるのだ』を買ったので読む。10月にWebで見つけたときはとても胸に迫ってきたのだが、活字の紙の本になると妙に切迫感や迫ってくるものが薄くて不思議だった。あの時よりも読んでるこちらの状況が変わっている(好転かその逆かはわかんない)からかもしれない。

稽古場に入る。前回チラシ作業で来た時みたいな疎外感やよそ者感を感じず、すっと入ってしまった。別に居心地がよくなった訳ではなくやらなきゃいけない作業で頭がいっぱいになってないだけだからだろう。そういえば発送作業はどうにか終わった。15日17時締切の作業をどうにか14日に終わらせられるぞと思ったら、肝心の料金後納郵便のことを引き継ぎそびれていたため郵便局の窓口までいって引き返すことになり、14日は失意の中で帰路につき、翌15日、手伝ってもらって昼1時にこれを終わらせた。
ただでさえ信用がないから締切より1日早く終わらせて自他ともに失われたものを回復したかったのだが、うまく行かず、デッドラインぎりぎりよりはマシな仕上がりだったが、仕事に手をつけてから浮き彫りになる自分の不調や不手際に、もしかしたら意地悪されているのかもしれんといった被害妄想に、逐一焦りおののくのはダメージがでかかったようで、5日も寝込んでしまった。

なんとも情けない。
今日のバラシもおそらく僕の手は必要ない。
がしかし、発表会に参加しない人も仕込みやバラシは原則全員参加であるし、現状の僕は原則に漏れる存在なのかもしれないが、仕込みには来てと約束した手前行こうと思った。発表会不参加の人のうち、来たのは僕だけだった。みんな忙しくしているのだろう。

久々にガチ袋を腰にさげ、ナグリをもったりするのはなにかを作っている一端に触れられたようで嬉しくもあった。平台を運ぶ人員の一人として微力ながら参加出来てよかった。
ある先輩が「手伝いに来たんか?えらいな」とこっそり言ってくれて少し嬉しかった。
他にも稽古場に来た時から気づいて手を振ってくれる人、目を合わせてくれる人、声をかけてくれる人などがおり、ちゃんと嬉しい瞬間はあった。
でもそういった手触りは帰り道にどうにか記憶をさらわないと見つけられず、あそこにいる時は苦痛の方が大きかった。

もちろん僕の誇大な被害妄想として一笑にふされるべきたぐいのことだけど、露骨によそよそしい人はたしかにいる。稽古終わり疲れている人を相手に勝手な妄想をするのは生産的ではないし、どっちみち根拠がないならみんなが自分のファンだと楽観的に捉えられれば世界は薔薇色だが、今のぼくにはそれをする力はない。元気な時ならナルシスト指数が高いのだが、今は病んでいるので。
髪が伸び放題でマスクをした暗い目つきの人間に声をかけたり出来る人の方が少ないとも思う。
声をかけたい気分でもないし、会話がなくともなにもおかしくない気がしてきたが、あの場にいる必然性みたいなものが欲しかったんだと思う。

こんなふうに考えてしまうのは、先輩たちや同期のことがすごく好きなのにその好きな人達に迷惑や不義理ばかりかけていることがいつまでもいつまでも解決できないからだろう。吐くのとかごはんが食べられないのは別にいいのだが、これはけっこうつらい。
いやこうやって自分を蔑ろにするのもよくない。それもわかる。まず自分が健康にならないことには他人に貢献することもできまい。
僕は賢いのでなにもかも痛いほどわかる。
わかるからといって何かが好転するでも痛みが和らぐでもないけど。

借りた映画を見る元気がないので帰りにTSUTAYAに寄って期限前の分をもう返し、新しいのも借りなかった。
でもどうにか頑張ったご褒美をあげようと春日太一さんの『鬼才 五社英雄の生涯』を買った。
何事にも興奮を示せない中で先日読破した春日さんの『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』は読書は電車に乗る時だけというルールを破って読み進めるほどハマった。
角川春樹とかホドロフスキーとかちょっと山師っぽいやばい映画人が好きなので映画屋のヤクザな生きざまにワクワクしてしまう。本当は文中に出てきた映画を見て理解を深めたいところだが、それをしようと借りた映画を見ずに返してしまう体たらくでなんとも情けない。工藤栄一版『十三人の刺客』は途中までしか見れなかった。昔のスターは誰が誰やら分からなくて、三池版が見たくなった。


そしてまた明日は明日で感謝祭の仕込みがあるのだが、また不安感なのか疲労してるのに寝られなくてこんなブログを垂れ流してしまう。
寝ずにいったらきっと悪化するのだけど稽古が忙しい人たちだって忙しい中行くのになーとまた詮無いことに情けなくなった。
なにをするにもごめんなさいと言ってしまいそうになるのだが、こんな状態の人間に謝られる方はたまったもんじゃないなとおもってなるべくしないように心がけている。自虐もしかり。その二つをしないように努力すべきなのだけどそれもまだ出来ない。
なのでここに吐き出すのだけは許してほしい。
許してくれなくてもいいんですけど。