テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-12-01のふみんふふみんふふふみん

11月30日の夜、家賃を払いに行ってないことに慌てて空いてる郵便局を探して電車に乗った。
本局なら24時間対応のはずと思っていたがそれは引き出しのみで預け入れが出来ず、残高がないので送金も出来なかった。
学びがあったが寒い中徒労だなーと悔しかった。昼夜を問わず寝てしまった後悔と苛立ちもあった。
ガス代だけは払えた。

家に帰って寝ようと思っても1日寝ていたのだから眠れない。
熱いから熱を計っても平熱で火照るだけ。どうやら自律神経がバグってきてるらしい。

朝7時まで寝られないからもうイライラして家賃を払いに行った。払えた。
映画も見てやる。今日はもう寝ないで夜無理やり寝て生活リズムを無理やり戻す。

ローガンラッキーを見た。
ソダーバーグの映画で、オーシャンズ13はなぜか父親と2人で見に行った思い出がある。11と12見てなかったのに。
見てて心地よいケイパームービーだった。個人的には『ベイビードライバー』で物足りなかった部分、計画立案、実行のサクサク感の気持ちよさが味わえて嬉しかった。そこまで期待してなくてTwitterの評判がいいから見ることにしたけど大正解だった。寝てない頭でも面白いのだから元気な時にみたらもっと面白いかもしれない。アメリカの田舎の人の生活感はよく分からないけどカントリーロードにあんなに胸を熱くできる人たちは素敵だなと思った。
星条旗パンツとかアメリカラブな感じが出てて日本だとこういうのないなーと思った。
チャニング・テイタムがお父さんとか最高じゃないです??娘役の子がキュートだった。
アダム・ドライバーのボーッとしてる感じでやるときはやるのとかも好き。
ダニエルクレイグもライリーキーオも出てくる人みんなチャーミングなので素敵です。

この時点でそこそこ疲れたが、そばを食べてもう1本見ることにした。
ホドロフスキーの『エンドレスポエトリー』。
公開からずっと見たかったのに生活リズムと合わなさ過ぎて今日を逃したらいつ見れるか分からないと思うと乾燥してきた目を擦りながらでも見るしかなかった。
三年前『リアリティのダンス』を見た時は小人の人たちがトラックで連れていかれたり、お母さんがおしっこをかけたらペストが治ったりするシーンで何が何だか分からなくなり、一緒に見に行ったG2とヤバイヤバイとしか言えず、その前に見て大いに感動した『ホドロフスキーのDUNE』で得られた興奮を微塵も感じられなかった。
でもこの1年で『エルトポ』『ホーリーマウンテン』『サンタサングレ』『ホドロフスキーの虹泥棒』『ホドロフスキーの惑星』とホドロフスキーの映画を見て毒に耐性がついたからなのか、今日のエンドレスポエトリーはちゃんと最後まで楽しく見れた。
寝てないからボーッとしてたのがよかったのだろうか。目が乾いたせいだと思うけど終盤涙がよく出た。泣く時のあの鼻に抜ける蒸気みたいなのを観測出来なかったのでただの乾燥に対する反応だとは思うが、それにしてもええ話やなーと思った。
詩人になりたいのに家族に反対されて家を飛び出すというくだりは、高3の時に軽躁由来の全能感から高校をやめて詩人になるといって担任を困らせた前科のある身としては行けー!やれー!と思った。
一般的な劇映画ではなくて超現実というか超説明な映画だった。詩に目覚めてない大衆は皆同じお面だし、黒子がアイテムを出したり消したりするし、お母さんはずっと歌ってるのは芸術的で人の話を聞いてないってことだろうし、運命のミューズは赤い髪で白塗りで女子プロレスか歌舞伎の鏡獅子みたいな奇抜さなのはそれだけ強烈に重要ってことだし、演じてるのがお母さんと同じ役者というのはそれだけコンプレックスを投影してるということだし、従兄弟の男の子とキスして興奮しなかったから自分の性を把握できたーと思ったら大人に変わるし、自我についての話なのでたくさん鏡が出てくるし、赤は魂の色で白黒は死の色でその二つが混ざるカーニバルは悟りの境地で嬉しいなーとか。目に見えるものから得られる物語が規格外すぎてついていけなかった三年前のリアリティのダンスより起こっている物事の意味だけ見つけていけばお話についていかなくても心意気はよくよく分かった。
自伝的な映画だけどそんな感じなので再現ドラマ的考証はほぼない。極めつけはパリに向かうために父と別れる場面、実際には今生の別れの上に顔も見ずにいったようだが、映画の中ではきちんと抱擁してありがとうと言っている。しかもホドロフスキー役もホドロフスキーの父親役もホドロフスキー自身の息子たちが演じており、更にホドロフスキー本人もその場にいて今これを読んでる人もうまく想像出来ないと思うけどホントにそういうシーンなのです。
父親との軋轢を自分の息子を使って作った映画で癒す、許すというredemption的展開はとても好みでグッと来た。グッと来たといえば“親愛なる友ミシェル・セドゥーに捧ぐ”という献辞は『ホドロフスキーのDUNE』でプロデューサーをしてくれながら映画の頓挫のせいで30年連絡も途絶えていた、まるで事故で失ったわが子を思い出すのが辛いから離婚して暮らしていた夫婦のような、あの最高の相棒ミシェル・セドゥーに触れてくれてとてもとてもグッときた。僕の中のブロマンス萌えが大気圏突入だった。
話を戻すと、父、自分、息子たちと3代に渡るホドロフスキー家のお葬式というか、供養、追善の風格があり、寺の息子としては思わず手を合わせたくなる。生きていくということは絶えず許すことの連続で、それはままならないことの方が多いのだけど映画という虚構の中でなら思ったよりうまくそれが出来たりする。だからこそ芸術は、映画は、虚構は素晴らしいと思うんです。

今こうやって言葉にしてみたら思ってたよりも感動していたのだが、見たあとは体熱いし気持ち悪いしそばを吐いてすぐ帰った。
映画を二本見て二本とも楽しめたのは珍しく嬉しいことだったのに、頭の中ではどうしてまだインフルエンザの予防注射いけてないのか、どうしてまだ稽古にいけてないのかという声がずっと聞こえている気がして、もしかして統合失調症の諸症状のひとつ幻聴だったのではーとこれを書きながら思い返している。こうして気づけるうちは幽霊だと思ったものが柳だと分かったみたいで大丈夫かもしれないが、柳を怖いと思った気持ちは嘘じゃないし、先月はもっと楽しめたことを思うと悪化してるのかもしれない。決起会からこっち、1度行けたのならずっと行けるのだという妄執に囚われていて改めて行けないという後退にイライラしているらしい。おまけにまた食べられなくなった。
誰も映画にいけるなら稽古に来いよとは言ってこないのに、もう100人くらいに言われた気分になっている。
先日ミーティング2つ出れなかったのが悔しくて、それ以来悪化してるので多分それが出来ればこいつは成仏するはず。
などとうだうだ考えています。


結局16時に寝て22時過ぎに起きてしまい、無理やり生活リズムリセットが叶わなかったので今日はこんなに長々書いている。
映画面白かった楽しかったねの一言で終えられたらどんなに楽かと思うが、もはやこれも仕方がない。