テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-10-26の鎮まらないものへ

今日は激烈に晴れ。雨ばかりだったのに。
寝られなくてしんどいのは入力のしすぎなのではと思ったので書く。

昨日の夜、家にいると頭がぐるぐるになってきて苦しいので家を出て散歩した。母が帰ってからは10日ぶりの散歩。
といっても5分くらいだったけど。
するとひと月半ぶりに12時前に寝られて2時半に起きた。
肉体の疲労から眠くなるという感覚が久しぶりで嬉しかったが、起きたら2時半というのにややがっかり。
そのまま寝付けず『続荒野の用心棒』を見てジャンゴかっこいいなーと思い、だるさはあるけど眠さにならない生殺し状態で8時を過ぎたのでもう外に出ても徘徊と名指されない時間だしと思って外へ出る。
外に出る前にやたらに朝日が眩しかったので掛け布団を干した。

モスバーガーでBLTサンドを食べた。
そのあと吉野家で明太子牛鉢定食を食べた。
いずれも食欲を満たすための食事ではなくて、不安感を薄めるための経口摂取である。
口の中にものが入ってるとその刺激が脳にいってるちょっとだけ他のことへの反応や思考が麻痺するので食べてる間だけ楽になるという仕組み。人はこれを利用してやけ食いなどをする。
あとここ最近味がわからなくなってきて、辛いものとか濃いものじゃないと不安になってしまう。
ずっと家にいるのでお腹もすかないが、さすがに1日1食くらいなにか食べようとスーパーやコンビニにいき、途端になにを食べたらいいのかわからなくなって、それなのに目の前には無数の食べ物が提示されてるので、なんだか怖くなってやたら店内をぐるぐるしてしまう。どうにか選んだものも心から欲したわけではないので口に入れても特に幸せにならない。減っていたものが満たされたなーという感慨もなく、さっきまで感じていたなにか食べなきゃという焦りを束の間忘れさせてくれる物体を口に入れているという感じ。
食べたら必ず吐くということは少なくなったが、食欲はないのに食べなきゃという使命感だけはあり、結果、刺激の強いものを食べてしんどくなるを繰り返している。
以前はよくお腹が痛くなったが最近はそれもない。いいことなのかもしれないけど、働きが鈍っているのか食べる前と食べたあとで満腹感がわからない。だから多めに食べて苦しくなって気づくか、視覚的にこんだけ減ったからこんだけ入ったんだなと思うことが多い。
1度コンビニに売ってる激辛のカップ麺を食べてみたら辛いなーがわかったからいいものの、食べたあとでお腹が痛くなりすぎて下痢するわけでもなく延々苦しくて寝られなくて唸ってたし自分の蛮勇を呪った。胃腸が強くなったわけではなくて知覚がおかしいだけなのだろう。

前ほど映画が楽しめない。そのせいで不安になって余計に見てしまう。過食と同じ原理。
楽しめないわりにTSUTAYAで10本も借りるのは元気だった頃の「映画を見れなくなったらおしまい」という暗示と週に1回必ず外出するきっかけ作りだが、ごはんでさえなにを食べたらいいのか分からなくなって立ち往生したのに無数のタイトルの中から少しでも興味のある可能性を探すのは難儀するしこの前は一時間いて少しも楽しくないのに選ばなきゃ選ばなきゃと思ってしんどくなった。
元気だった頃は渋谷のTSUTAYAであれも見たいこれも見たいになっていたことを思うと元気ではないことが察せられる。

新作映画を映画館まで見に行くのも食事の時と同じくスマホの電源を切って真っ暗の中で大きな音と映像を眺めるというのが入力されてる間は既存のデータ処理に翻弄されないという理由である。映画館で映画を見ること自体はデータ処理ではなくて流れている川を眺めるみたいなもので、とりあえず止まっているものがつらい。それは部屋のDVDの背表紙とかなのかもと思い、タオルをかけて目隠しをしてしまった。
こうやって苦痛を伴いながら映画を見るのは、まるで生前の趣味をトレースすることで外形的にその人物に成り代わろうとするゾンビ的な何かになったみたいだ。

次の発表会の稽古が始まろうとしているが、まだまだ創造的に意欲的に作品に関わることの出来る体調じゃないので「出ません」と先日連絡した。出たくないというより卒業発表会なのに病人が出るというのも迷惑だし、出られたらよいけどまた稽古にいけなくなって途中で迷惑をかけるのが嫌すぎるので初めから出ませんに至った。年2回発表会にでる決まりでまだ1回しか出てないから、無理矢理にでも出なくちゃいけないというのがしんどいから出ませんにした。
選ぶことがしんどい中でかなり大きめの選択をして疲れた。

そしたら今日の夜に研究所の主事補佐の人から電話があって心配され、明後日話をしに行くことになった。具体的にいうとちょっとでも卒公にでてみないかという話。
電話してたら怒られたわけでもないのに勝手に泣いていてびっくりした。まだ泣けるんだということにびっくりした。なにかを期待されるのが久々だったからかもしれない。
電話が終わったら泣いたせいなのか手足がめちゃくちゃ冷えて慌てて風呂を沸かした。
電話を終えた時は緊張感とか恐怖感よりも泣けたデトックスなのか前向きな感情があって親や友達に報告したのだが、しばらく休むつもりで納得したものが、いざ動く用意をしなくちゃとなると無意識下でザワザワしているらしく、寝られなくなっている。

今日散歩から帰って昼寝した時に、1日遅れで稽古に行くという夢を見た。そのあっさりした受け入れられ方に拍子抜けしたが、起きてからも覚えている。
だからなんだという話ではあるが、僕が高校にいけるようになったのも夢の中で高校にいってたからで、今回もまたそのような啓示なのかと思ったりした。泣いたのは出たいという気持ちやここで終わりたくないという気持ちの発露なのかもしれないけど、まだ出るとは思えない。

天気がよくて朝日を浴びて朝ごはんを二回も食べて、昼寝で稽古に行く夢を見た日に今後のことの話し合いの予定が入る、と色々ありすぎて気が休まってない。

うーん、困ったねー。