テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

こだまさんの『夫のちんぽが入らない』を読んで

僕が小学校4年の時に、学級崩壊があった。
わりと記憶に蓋をしてしまっているので普段はまったく思い出さないが、この本を読んでふと蓋が開いた。
きっかけはなんだったのかまでは明確に覚えがない。
たしか4年の最初の担任がだいぶ高齢の女性で、親の介護のために一学期の早い段階で離任することになった。今思えばなぜそんなタイミングでと言えるがその先生にだって事情があったのだろう。
僕たちのクラスが荒れ始めるのは新しい担任のO下先生が来てからだった。彼女は27歳で緩いパーマの髪が肩まで伸びており、いつもニューバランスの靴を履いていたのを覚えている。眼鏡をかけていたせいもあるが、どこか優しげだけど頼りない人だった。
担任が変わったことへの言い知れぬ不安感や大人への不信感があったのかクラスのガキ大将を中心に落ち着きがなくなり、授業が成り立たなくなった。ある時は数人が給食を配膳するキャスター付きの机に乗って廊下を走り回ったこともある。
この頃、親に「もう学校行きたくない」と泣きながら訴えていたとだいぶあとになって聞かされたがその記憶は全然ない。居心地が悪かったことと体育の時間にそのガキ大将に赤白帽を捕まれてゴムが首にくい込み、泣いたことは覚えている。そのあとそいつの靴にどんぐりを4個入れたら帰りの会で「誰だか知らないがやめてほしい」と言われた。
傍観者ぶっているけど僕もO下先生に悪口を吐いたことを白状しておかなくてはいけない。
算数のテスト中、クラスの連中が口々に先生の悪口を言い始めた。静かにしなくちゃいけないテスト中、不意に切られたおしゃべりの口火に僕も乗っかっていた。
「4年1組、最低先生~!」
どっと教室が湧く。当時流行っていたファンタのテレビCMをもじったもので、今にして思うとなにも面白くないが、その時はなにか面白いことをいってクラスのみんなが笑うのがたまらなくて、つい言ってしまった。
先生はツカツカと僕のところにやってきてときかけの答案用紙(小学校のテストは業者製のカラーのツルツルのやつだ)を「もう解かなくてもいい」といって取って教卓へと帰っていった。

ここに来て気の小さいぼくは事の重大さに気づくが、時既に遅く、バツが悪いまま時間を潰した。
そのあとあのテストが何点だったかは覚えていない。僕以外にも騒いでたはずなのに僕のだけ取り上げられたのは都合がよかったからだろうか。

O下先生は二学期の途中で学校に来なくなった。
次はS屋先生という眼鏡で若いけど気の強い女の先生が来た。

O下先生の話をしようと思ったらだいぶ長くなってしまった。
『夫のちんぽが入らない』のこだまさんも学級崩壊から退職するシーンがある。
これを今日読むまでO下先生がどんな思いで働いていたかに思いを馳せたことはなかった。いつも「担任が変わって学級崩壊して、新しい担任とも上手くやれなかった」自分たちの側からしかこのことを考えたことは無かったけど、今になってやっと先生のことに考えが至る。このことによって先生の人生はいまさら微塵も変わらないし、僕たちのやったことが許される訳でもない。
僕たちのやったこと、というのもすごく自分勝手というか心がけさえちゃんとしていれば未然に防げたみたいに聞こえるのでただしい表現ではないと思う。そういう独りよがりな思い上がりは万事上手くいかない。

段々言いたいことがぼやけてきた。O下先生あの時はすいませんでした。先生にもちゃんと人生があるただの人間だとやっとわかりました。

大学を卒業して友達が教員になっていくのを横目に見ていると、今まで僕と関わっていたどの先生にも人生があり、突然僕の前に教員という肩書きでポンと出現したキャラクターではないのだなということを今更ながら実感する。それは絶対者もただの人間だなーという諦念でもあれば、教員という職を選べることへの畏怖でもある。


『夫のちんぽが入らない』の感想を言いたくて書き始めたんだった。
僕は『人間失格』を読んで自分だと思った中学生だったし、『山月記』や『舞姫』を読んで自分だと思った高校生だった人間である。
共感や投影は読書における感動の大きな要素だけど、その時に想起したり入れ込んでいるのは登場人物のラベルやシチュエーションではなくて、彼や彼女の抱える痛みや苦しみ諸々の情緒である。
こだまさんは女性で、北国の田舎に生まれて、彼氏が出来て、その彼のちんぽが入らなかった人だ。
僕と共通のラベルやシチュエーションはどこにもないけど、この本を読むとああ、ここにも僕がいたのかとページをめくることになる。
それは誰もが「入らない」なにかを抱えて生きているという普遍化されたものへの共感なのかもしれない。そう言い切るのは簡単で、恥や苦しみや痛みをそのまま塗りたくった彼女の痛切さには及ぶべくもないのにわかると言い切ってしまえるくらいのしあわせが僕にはあるという傲慢かもしれない。

こだまさんの人生は面白いと言えないけど、この本は悲しいくらいに面白い。面白いにもいろいろあるけど、暗くて冷たくて寂しい水に投げ込まれた人が、ぶくぶくと沈んだかと思ったら水底を蹴って水面にどうにか上がって息をしたのを見るような気分になる。
どうしてそんなところに投げ込まれたの、どうして泳ごうとしないの、どうして岸にあがってこないの。どうしては沢山浮かぶけどその問いには意味がない。
どれだけ苦しく悲しい物語でも観測可能な時点で救われる。ああ、よかった、今こうしてこの話を聞かせてくれてよかった。ここまで生きることをやめてくれないでよかった。と救われる。暖かい毛布の中で生きている人も川辺で生きている人も木の上で生きている人もいる。境遇は違ってもその人にしか知覚できない物語があり、それはどれも等価に尊いと信じている。いつかあなたの物語もそっと教えてほしい。本にしてくれてもいいし、飲み屋で笑いながら喋ってくれてもいい。だからどうかそれまで物語を終わらせないでほしい。


ここ最近はご存じの通り塞いでいるので、ふと深夜によく分からない文を連ねてしまう。

全部忘れてください。
『夫のちんぽが入らない』はとても面白い、読む価値のある本です。それだけ覚えて帰ってください。