テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

ダンケルク雑感

今日は曇りのち晴れ。昨日よりはごはんたべれるようになったが、食べすぎたのか戻したりした。

昨日の夜、なんか調子がよかったのともう3日も家にいるのが嫌になったのでダンケルクを見に行くことにした。
お腹こそ痛くならなかったけど劇場につくあたりでやや満足して帰ろうかなとも思ったが、ここで帰るとダメな気がしてやや無理をして見ることにした。

ダンケルクは製作開始の時からノーランが戦争映画をやる、実際の船とか戦闘機を買ったとか相変わらずのニュースに触れる度にワクワクしていた。公開から10日も経ってしまったら意外と賛否両論あるみたいで、内容がわかりにくいみたいな話もきこえていた。
そういう前情報はなしでいきなり見たかった気もするが、結果としてわかりにくさに気をつけて見たおかげかとても面白かった。
戦争映画というと残虐な破壊描写とか兵士の個性とかでドラマを盛り上げるのが主流な気がするが、ダンケルクは『シン・ゴジラ』とかと同じような人間ひとりではどうしようもない事象としての戦争映画だった。状況映画とも言える。ドラマという意味での物語はないが、ストーリーとしてはちゃんとあるので『シン・ゴジラ』『マッドマックス怒りのデスロード』がハマった人はハマれるのかなと思った。
キャラの背景とかは察するしかないけどエサは十分に撒かれているので関係性萌えとしてもおいしい。
七人の侍』の野武士みたいな顔の見えない暴力装置って感じのドイツ軍はあまり悪者っぽくなくてなんかよかった。
戦争映画というよりはノーランお得意の時間についての映画って感じで劇伴も延々チクタクチクタクうるさい。編集でいきつ戻りつするのでそこがわかりにくいという向きもあろうが、僕は『ハリーポッターとアズカバンの囚人』のハーマイオニーの時計のくだりが好きなのでおおーそこが繋がるかーと興奮していた。
あとびっくりするくらい顔のアップが多くて沢山の英国俳優が拝めます。それと対比するような海原と空の広がりとか、生死の水際としての海岸線とか。
ちょっとだけこの前見た『関ヶ原』をこの構成でやったら面白いのではなどと思った。
大体面白い映画というと、お話がおもしろいという意味で使うけどダンケルクはどちらかというと詩みたいな感じなのでお話を見る感じじゃない。小説を読むというよりは写真集を見る感じ。観念的。
映画を見てる時は大体主人公がいてそいつの目的があって、観客はそれを外側から眺めているから時間の流れが客観的に見えるけどダンケルクの場合は主観的な時間の見え方というか、焦ってる時のいつこれが終わるんだ~みたいな感覚になる。
音響がよいので『プライベートライアン』冒頭的な戦場も想起されるが、暴力としての映像というよりは印象としての映像という感じ。伝われ。

考えるよりも感じるタイプの映画ではあるけど、考えてないと今なにやってるのかわからなくなるという困ったタイプの映画。他の監督なら海岸→船→戦闘機の順で話を進めるかもしれないけど、それだとただ並べただけみたいになるというか、映画はたくさん撮った時間の素材を並べ替えたりして成り立つ芸術なのでこれでよかったと思う。主人公らしい主人公がいないのが戦争っぽいというか、各人のやることをやりましょうという気がする。
今までそんなに戦争映画みてもないけどこういうタイプの作品があってもいいなーというかすごく好きになってしまった。器用な子じゃないけどそこが好きなのかもしれない。あと見た目。ホイテ・ヴァン・ホイテマの撮影とトムハーディがかっこよいからなんでもいい。CG使わないのが凄いかというとそれはもう好みの問題だけど、強いていえばドキュメンタリー(ここでいうドキュメンタリーとは物語の行く末を前もって知ることが出来ない程度の意味)チックになる凄みは感じた。
最近タルコフスキーの映画が好きなのかもしれないなと思い始めたところなので詩的な映像は食い合わせがよかった。イニャリトゥの『レヴェナント』もある意味、状況映画で詩的な映像ではあったのにあれには乗れなかったのはなぜだろう。いやあれは状況に対処というよりは我慢大会だったせいか。

ノーランらしさはあるけど、過去作みたいな冒頭の何気ない映像があとで大事とわかる作品でもないし、ラストカットが解釈のために突き放した感じでなんか新たな一面を見た。

ダラダラ言うてたらもっかい見たくなってしまった。