テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-09-18の野分の脇の休みの子

昨日の夜は台風ですごい雨と風。 今日は俗に言う台風一過らしく青々として透き通った快晴。

昨日、母が広島からやってきた。
正直びっくりした。病状は伝えたりしていたが、行こうか?と聞かれる度に断っていて、本当に来るとは親はすごいなーと他人事のように思っている。

僕が寝たきりになっているうちに、みるみる部屋が片付けられていく。
活動的な母と寝ている僕。
ありがたいことなんだけど、本来なら自分でやらなくちゃいけないことをテキパキとやられてしまって自室なのに居心地がわるい。
ガスコンロがないじゃんと言うが早いか、カセットコンロと鍋を買ってきて持ってきた米でおかゆさんを作ってくれた。
食べられるかどうかはまた別問題で、少しずつ食べた。
夜、ヨーグルトとおかゆを食べるがずっとムカムカしてえづいてみたが、なにも出てこなかった。それはそれで気持ち悪かった。



稽古のこと。
結論から言うと降板ということになる。
それを言うことがそのまま役者失格だーとか不義理無責任だーと誰も責めてこないがセルフで烙印を押して苦しんでいる。落伍者というレッテルはあたかも『NARUTO』の呪印のようにジワジワと熱を持って身を焼いてくる。元気なうちは見えないけれど抵抗力が弱まると出てくるらしい。つまり今は四六時中でてる。胃炎と逆流性食道炎では満足にものも食べられず、結果体は弱り、心で支えるのも無理になったらしい。
ゴドーの時から体調は万全ではなかったがあの頃はまだ気合でもってた気がする。今回もそれでいければよかったのかもしれないが、そういう綱渡りをやめてまず体を直せというサインなのかもしれない。そう捉えないとやってられない。
毎朝稽古に行けない旨を伝えるのが心苦しかったが、辞意を伝えて休むことに専念するということはそれなりに効果があるらしく、やや精神的にも回復してきたように思う。
回復しかけたことは嬉しいが、それが降板に伴うものというのはなんとも言えない。
役者殺すにゃ刃物はいらぬ役の三つも干せばいい、なんて言葉があるが、生きるよすがたる役を自分から手放すことになるなんて思ってもみなかった。生きるよすがというのは大袈裟かもしれないけど、役者のイデアというか理想の役者は病を押して舞台に立って美談にしなくちゃみたいな昭和的旧日本軍的視野狭窄に陥ってたなーという気がする。
迷惑かけるのも心配されるのも嫌で頑張れる自分だけが正しい自分という思い込みは大学時代に1度やって結果体を壊したが、今回は頑張りきる前に壊れてしまった。やはり最大HPが減ったのだろう。
読者諸兄もお気をつけください。

さっき同期とLINEしてて次があるということをやっと思い出せたというか、これで完全に終わったと思っていたので(精神的に再起不可能なのかもなと思ったりもしたがそこからはマシになってきた)、変な感じがする。無論、僕がもう戻りたくなかった世話のかかる体と心の弱い子という評価をする方も中にはいるだろうが、そこに人生のケツ持ちがいるわけではないので諦めるしかない。
次までに体が治らんとどうしようもない。
今日は調子に乗ってオクラの胡麻和えを食べたが吐いたし、胃が痛くて寝られない。
元気になることにだけ集中するというのも結構難しい。

少なくともスマホが爆弾のように思えて電源を切ってた時期は脱したので、やや回復してるんじゃないかな、しらんけど。