テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-08-06はせんしゅーらくっ!

今日は晴れ。夏らしい陽気の千秋楽。

8月6日は広島の人間にとって忘られぬ日である。
小学校の頃は登校日だったし、毎夏語られる原爆の悲惨さの話に戦き、原爆資料館のケロイドに、陰が転写した壁に、遠き日の熱さを思う。
この世界の片隅に』が公開されてやおら例年よりも注目されたことも記憶に新しい。
東京で暮らしているとなんてことない日常のひとつでしかなく、うっかりすれば気付かずに暮らしてしまいそうになる。
早起きするはずが連日の疲れで8:15に間に合わなかったので、行きの電車で黙祷した。
多分だけど時間にこだわることよりもその日に思いを馳せることにこそ意味があると思う。9日も15日も。過ぎてしまったけど沖縄戦の7月2日とか。
平和公園の式典の中継を見なくなってもう5年は経った。青空に白い雲に、飛び立つ鳩に、スピーチする中学生のシャツの白さに夏を思った。
この日が来る度に僕は広島の人間だということを思い出す。

そして千秋楽。
あまりに短い稽古期間に戸惑い、傷つき、涙し、鶏の骨に食らいついた日々も今日で終わる。楽屋について甘酒を飲む時にはそんな感傷は抱かなかったけど。
今日もヒリヒリしなかったけどちゃんと出来た。
それから客出しで高校の同級生と二年ぶりに会った。大阪から来てくれてありがたい限り。
有名な同期のお母さまにも挨拶出来たのでやっと僕もいっぱしの研修科生って感じした。
バラシは頭パーンとなるまえに本職の方々の援軍もあってちゃっちゃと終わった。衣装の片付けも滞りなくてよかった。バラシの度に思うけどほんとアトリエは広い。あんなにぎゅうぎゅうに充満していた黄色の世界が消え失せて、演劇の刹那の魔法をまざまざと見る。

その後次の発表会の台本(噂の)が配られる。
分厚い上にやることが多くて楽しみになった。目の奥に火が入ったのが自分でもわかる。
難しい台本でこそ燃える。そういうのの方が自分に分があるような気がするから。ゴドーも難しいからこそ躍動したかったけど勝てたのか負けたのか追いつけたのか自分では分からない。
僕という一艘の小舟は疾風怒涛を待ち望んでいる。転覆の危機にこそ、嵐の中にこそ生命の、身体の真価がわかる気がするのだ。知らんけど。
あまりに早くバラシが終わって打ち上げまで時間があったので先輩たちと銭湯に行った。「べっぴーがこういうの来るなんて珍しいね」と同期に言われた。僕だって汗を流したいんだよ。本当に昔ながらの銭湯って感じで打ち上げ会場まで歩く気だるい夏の夜風にくさいけど青春の匂いを感じた。きっと何年経っても今日のあの風呂上がりを僕は覚えていると思う。

そして打ち上げ。例によって盛り上がる人たちを見つめる人だったが、六月の打ち上げよりは楽しめたと思う。ちゃんとおしゃべりできたし。お腹壊したけど楽しめた。
嬉しかったのはU山さんに「変だよね」って言われたことで、U山さんも大概変でしょー?と内心思ったが言えなかった。途端に周りのみんなが僕が変だったエピソードを話し始めて居心地が悪い。僕は至ってフツーなのに。去年演出家さんに「ちゃんと友達いるの?」と言われたのを思い出した。こんな変な僕を受け入れてくれてどうもありがとうございます。
U山さんが演出に決まってからずっと聞きたかった山崎努さんの『俳優ノート』の時の話を最後に聞けたので胸のつっかえが降りた。U山さんは僕がかぶってる帽子まで見てて変な人だけどすごい人だなーと思った。もっとお話してみたかったけどなんか怖がってしまってダメだった。稽古とかで全部見透かされてる気がして演出家さんとはあまり仲良く話せない。話したい気持ちは凄くあるのに。

二次会に行く人たちを尻目にぴんちゃんと駅まで歩いた。今回もまたぴんちゃんの「ゆうしょうなら大丈夫」に支えられてやり切れたのでそのお礼を言った。卒公以来ぴんちゃんは僕の女神です。

     一九四五年八月六日の朝
     一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて
     いま在る
     あなたの如く 私の如く
     やすらかに 美しく 油断していた。

石垣りんの『挨拶』という詩の最後の部分である。
8/6と千秋楽が被ったせいかふと思い出した。
あんなにみんな楽しそうに舞台に立って賑やかにお酒を飲んでいる。そんな日常は美しい油断に彩られている。別にひねてるわけじゃなくて不思議だよなー生きてるってと思うんだ。今頃みんなは二次会で盛り上がっているだろう。もっと体力があったら、お腹壊さなかったらその場にいられただろうか。こんな僕でも輪の中に入れるのだろうか。
いかんいかん飲酒のせいで気が滅入っている。

明日は大掃除からの仕込みの手伝い。
まだまだ映画館には行けそうにない。