テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-07-31の渇き

今日は晴れ。ほぼ屋内にいたのでわからないけど。1。

4時に目が開いてうわーっと思って二度寝したら7時半でとても焦ったが、普通に間に合った。
甘酒の豆乳割りを飲んだ。
今日は9時から自主稽古。

稽古終わりで少し寝た。教室に居場所がないオタクみたいな寝相で机に突っ伏して。
今日嬉しかったことは、以前コーヒー買ってこいよと絡みながらコーヒー買ってくれた同期の女の子が「最近元気ないね?」と何気なく衣装の汚しをしながら言ってくれたことである。人の優しさに触れるのが久々すぎてあやうく惚れるところだった。ええ子やなーと思った。
どうやらぼくは3月に比べて元気がないらしい。
自分ではこんなもんな気がする。元気がない方がニュートラルな気もする。でもそうじゃないのかもしれん。
あんまり目を合わせたくないだけで本当はしんどいのかもしれない。
まぁ無理はしてるとは思う。
一回目の発表会に出られなかった分の憂さやフラストレーションをぶつけて発奮して覚醒するはずだったのに、いつのまにか羽ばたき方を忘れてしまったのかもしれない。
飛んでみようとしたら脚がくくられているとか、羽根が折れてたとか気が付かないクセにやられている。

げんなりしててもしょうがない。
今日は抜き稽古をやって二幕の通しをやり、5時から初めての通し。本番まであと3日というところで初めて通し。
演出家の鋼の心臓に畏れを覚える。
前回の一幕通しよりは、動けた気がするがどうだろうか。
やってもやってもわからない。
今日はあー汗かいてるなーとか一歩引いて考える余裕があった。
まだやっててドライブしてるというか、舞台上で自由になれた瞬間がない。叫ぶシーンでやや解放された気分はあるが、叫ぶ演技が熱演みたいに言われるの嫌いなんだよ。
邦画の感情全部絶叫みたいなのに吐き気を催す質なので。舞台と映画は演技のリアリティーラインが違うので一概には言えません。
そんなだから今日も省エネといわれるんだろうな。
衣装を二層式の洗濯機で洗って、排水されてないところに手を突っ込んだら袖まで濡れてびっくりした。慌ただしい退館。焦らされるのは苦手だ。

帰りの電車で方向が同じ同期と一緒になった。珍しく人と話す楽しい帰り道。
会話の途中で「もっとブログ感だしていいんすよ~?」と言われてなんのことや?と思った。
どうやら別の同期が僕のFacebookを見せていたらしく、ズバズバ言うやつと思われていたらしい(ブログと言ってたがFacebookのことらしかった)。「(文章より)柔和~」と言われた。
ブログやFacebookに長々文章を書く僕も僕だし、舞台上でアタフタしている僕も僕だし、
これこそが素とか本当の僕というのはない。
月の見えてるところを正面というのに似ている。
光の当たり方で呼び名が変わるのにも似ている。

よく人の見せない面を闇だなんだと持て囃してさもそこに真相があるように色めく輩がいるが、そんなに簡単だったらどんなに楽だろう。
そういうことに悩んでる人は平野啓一郎の分人主義の本を読みましょう。僕はそれで随分楽になりました。

今日で残り日数カウントダウンは1だが明日も稽古があるので0+1である。明後日は場当たり。明明後日はゲネ。その次は本番。
早い。早すぎる。
それから逃げ切りたいような、同時に追いつけそうなものの名はきっとゴドーだ。