テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-07-22の苦み渋み

今日は晴れ。9。9?!????

今日も目覚まし前に起きる。
昨日はもう力尽きてお風呂に入れなかったので早起きしたことだしお湯を溜めて入る。
嫌なこととか疲れとかが溶けていく前に時間を気にして出る。左の尻と肩と腕が痛い。湿布を貼る。
帰りたいと思いながら家を出る。電車に乗る。

今日はラジオ体操が省略されるので念入りにストレッチしとく。
昨日のブログを読んだらしい染ちゃんが何も言わずに背中をトンと叩く。
それだけで伝わるものがあり、嬉しさと気恥ずかしさと自嘲が1度にでて変な笑い方しか出来なかった。ありがとうとも言えなかった。

今日は昨日の続き。
どうにか昨日よりはマシな気がするが、相変わらず余裕はない。
ペースが早まるという予告をされたのに時間を費やしてしまうことに恐れながらも1時間かかって終わる。
終わった時は正直ほっとした。
今までの稽古は終わるのが味気なくもっとやりたいことの方が多かったが、今回はひたすら苦痛である。そんな心構えを責められたらそれまでなんだけど、なかったことにする方が怖い。
昨日の失敗を反省してポカリをごくごく飲んでたのに頭が痛くなる。気のせいだと思ってたのにどんどん重たくなった。
他の組の稽古はスルスル進むような気がする。実際止まったりはするが、僕の時よりマシだ。
そんなことにまでいちいちやるせなくなる。

全体の稽古が終わって、いつまでバイトしてるんだ時間が無いぞという有難い御言葉がある。
気分は二等兵。南方のね。
自助努力で戦略の不足を補うのが美談になる。
僕は非力な非国民だから拗ねるしか能がない。
頑張ることとか時間をかけることが目的になるのはダサいと思う。
僕はバイトしてないけど他人事ではない。
他人の生き方に、覚悟とか持ち出して非難するのは旧時代的だなーと思う。いまは2017年だ。それが伝統、80周年ならとっとと潰れてくれとか余分にささくれる。自分のケツを持つ気があろうとなかろうと親切心と真心には発言権がある。こうして正論がまた人を殺す。
そんなことを思ったのはあとになって確固たる意見を持つ同期をみてからで、その時の疲れた頭には何も聞こえてこず、辛い気持ちの水かさだけが増えた。

頭痛薬を買いに行く。
おにぎりを二つ買って食べ、すがる思いでEveを飲む。
痛みが引いてくれ、と思う。なにもかも解決してくれと思う。
イブは頭痛を和らげてくれたけど他の痛みには効いてない。
相手役と話し合いをする。
通しをやる。
通しなのに止められるくらいの出来で自分でも気持ち悪い。
ノビノビやってないのはよく分かる。
小学校の時のサッカークラブを思い出す。
何をやっても怒られるから怯えてまともにプレー出来なかったあの頃。回ってきたボールをパスする視野がなくて前に蹴るしか出来なくなってベンチに下げられたのを思い出す。
その時コーチから「やる気があるように見えん」と言われてから僕のやる気は10年も行方不明で、あれから僕の人生はずっと辛いことから逃げている。
サッカーもサッカー部の友達も大人もあの日からずっと怖いんだ。
「出来るはずだから」といってもらえる今の方が100倍マシだけどね。

いつもはこうしてぶちまけてれば気持ちが楽になるのに昨日今日は書いててしんどい。
それでも書くのをやめられない病気なんです。

通しが終わってダメ出しというか話し合いを経て多少は問題の根源が見えてくる。
でもそれは光ではないのですがれないし、グロテスクな傷なので直視もしがたい。
でも見つめて直しに行くしかない。
単純につらい。明日が来るのが怖い。家から出たくない。
それでもいくしかない。

一分一秒でも早く家に帰りたいのに、居残って舞台の追加作業に参加する。僕は卑怯者だからこういう作業をする自分でいないと組織の成員として落伍する恐怖を消せない。卑怯の危惧。僕はそれだけの人間だ。
でも実際なにかが出来上がるというのは体にいい気がした。

帰りの駅、エスカレーターですれ違ったおじさんがお前なあああああ!!!!という絶叫を虚空に向かって発して、自分に向けられてないはずなのにすれ違っただけなのに心が砂になってザラザラザラザラこぼれていく。疲れが二倍になる魔法だった。

今日もダラダラ書いてしまった。
恥ずかしげもなく書く割に、Twitterで共有するのはひよっているここ最近。
なんてことなかったなと笑える日が来てほしい。
そう切に願って、思い切り無様に書いているんだ。