テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-07-21の死に体

今日は晴れ。10。

今日も目覚ましなしで起きた。朝、水を飲んだらお腹が痛くなりすべてが憎くなる。
朝からトイレに籠る。白湯を飲む。
もう休みたい。遅刻すると連絡しようかなどと迷うがちゃんと電車に乗る。遅延でぎりぎりになったので駅から走る。
息が切れる。余裕がなくなる。視野が狭い。
今日は立ち稽古。
自分たちのところが重点的に出来る。
衣装の暑さで頭がぼーっとする。呼吸で芝居ができない。
卒公の時も言われた気がするけど1人でやろうとしがち。人からもらうのが苦手。
演技してる気分だけで余計な動きが多い。
かと思うとぼーっとしてて変化がない。人形劇じゃないんだから、と言われた。
生き方は芝居に出るというと陳腐だが、事実1人でなんとかしようと思う人生だったし、人に頼れない方だからこんなザマなのだ。
何度やり直してもうまく行かず、呼吸が浅くなり視野が狭くなり、頭が痛くなる。
みんなの視線。過ぎていく時間。役者に向いてないなとか、時間かかってごめんなさいとか余計なことにばかり気を取られる。お腹のあたりがキューッとなってあやうく鼻の奥がツーンとなりそうになって、いけんいけんと息を吐いてどうにか耐える。
1時間40分やって休憩。まだ三ページしか進んでない。
休憩中、他人と目を合わせられない。
自分の居場所だと思えない。
余計なことにばかり気を取られる。
その後もなんというか自由とか生活感とかと程遠いぎこちなさでしか芝居ができない。
言われたことをやろうとするけど出来てないと言われるからおっかなびっくりになり、固くなり、クセが抑えられず、結果どうにもならない。
限られた時間を僕のせいで止めてる感覚が強くなり、なんともいたたまれなくなる。
別段人のやってる時はそう思わないが僕は妄想がひどいので。
結局2時間かかっても次の組にバトンを渡せないまま、リレーが終わる。
達成感とは程遠いいたたまれなさで終わる。
別に僕ひとりのシーンではないのにこんなことばかり考えているのが病理なのかもしれん。
顔が死んでいるから誰も声をかけてくれない。声をかける気力もない。
顔が死んでるよとは言われたが、それにもうまく笑えない。

出来てるとこまで返したが、全然ダメだった。
ダメ出しで言われたとこが体に身についてなくてびっくりした。
去年は一度言われたダメ出しは1度で直すように出来たのに、頭が回ってなくて上手くできない。
ダメ出しが通らない人のことがまったく理解出来なかったが、初めて気持ちがわかる。これはつらい。
やろうと思ってるのに出来ない。出来てないことだけはわかる。認知症の人が自覚なく同じ質問をして何も解決できないみたい。
顔が死んでいる。
生き返れない。
地震がある。
なにもかも崩れてしまえとやさぐれる
元気だしな、も無言もつらい僕は天の邪鬼。
色んなことから逃げる癖があるから、また逃げれるものなら逃げたい。もし仕事だったらとか考える。無数の同級生も社会で怒られては頑張っているのだろうか。いやそんなんどーでもいい。
もうここでは戦うしかない。
出来なくても死なないし、逃げても殺されやしないけれど、大事な何かが死んでもう立ち上がれなくなりそうだ。それは命を取られるよりもずっと怖い。
たとえばまったく矯正されないものが至上なことなどあるだろうか。
それはただの独りよがりで同人でもやってろよという話である。
ダメ出しされない役者なんていないのではないか。
それをされないことがいいことだと思っているまだいい子ぶりたい自分が息をしている。殺したつもりでも何度でも息を吹き返す。
泣くまいと思っていたのに、自主稽古の最後の最後で抑えきれなくて泣く。
今年に入って1番悔しくて辛い日だった。

頭の中で言われてないはずの被害妄想が何回も反響してまっすぐ歩けない帰り道。
独りよがりなのはこのブログだけで十分だ。
明日はもっとうまく出来るかなとか思うがその性根がよくないんだよ。
上手くとかいいから、全力でぶつかってしまえ。
また熱中症になっても仕方ないのかもしれない。
絶対に折れない強さを願うよりも、折れても再起するしぶとさをこそ身につけたい。
僕は一山いくらのワレセンを目指す。形の綺麗さは二の次だ。味さえ、味さえたしかなら。
もう分からなくなってきた。
心が減った分で弁当を買ったら多すぎて食べられなかった。

とりあえず明日は自分を許せるようになりたい。