テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-07-02の進軍

今日は曇りのち晴れ。やる気のある晴れ。24。

昨日はいまさら『ルックオブサイレンス』をみて打ちひしがれていた。
加害者と被害者がこんなに近しく暮らしながら、憎しみが恐怖によって直視されず、にもかかわらず殺害が武勇伝として笑いの種になるという特異な世界に呆気にとられるしかなかった。
実の兄を殺された主人公のアディが眼鏡技師として出張検査する中で殺害実行犯たちに当時の共産主義者虐殺を聞く。嬉嬉として答えるおじさんたち。
「そこで殺されたのは私の兄でした」
そう告げると表情は曇ったり、険しくなったりする。
住所を言えよと激昴するおっさんもいれば、加害者遺族はいまさら蒸し返すなよと苛立つ。
なんらかのレッテルが体制によって貼られたらいとも容易く人は人の道を外れ、殺すやつの血を飲めば狂わないという迷信を信じて生きていける。
空恐ろしくてはぁーと思いました。
未見の方は『アクトオブキリング』と合わせてみてゲンナリしてみましょう。

そんな映画を見たせいか寝られなくなったので『デッドマンズチェスト』を復習のために見てたら結局最後まで見てしまい、3時すぎに寝る。
5時半に目が覚めて二度寝を決める。
ちゃんと起きて稽古場に行けた。満員電車いうほど人おらんかった。
まだ稽古場に慣れない。
今日は読み合わせ。隣の席の染ちゃんに「元気?」と聞いてもらえたのがジワジワ嬉しかった。
読み合わせはサクサクスルスルとは行かず、言葉のニュアンスにまじめに向き合っては漸進、立ち返っては漸進。原語版は手元にあって損ないなと思う。
今日はDMにいれる手書きメッセージを書いたりしたが、他の人のをチラ見して“難解”という単語がよく出てくるので意地悪を考える。
難解ということは平易なものもあるということであり、平易なものならば理解してきたという感覚からゴドーは難解と処断を下すことが出来る。
しかし理解とはなんだ。わかった気になれるということだろうか、1+1が2になるということをそれらしく納得するというのに似ている気がしないでもない。
翻って難解というラベルを貼り付けることで遅々として進まない己の読解に安堵をもたらそうとしているのではないか。などと考えてしまう。
ゴドーは来ないが、僕は待つ。
ひょっとしたら明日は来るかもよと思いながら待つ。
そんなことを考えていた。

ちなみに僕の手書きメッセージは僕っぽい、詩的すぎなどの評価をいただくものの書き直しはなく加筆して清書しました。息を吐くように詩文を生成できる体に生んでもらって親に感謝します。

稽古終わり、先輩と同期とごはんを食べに行った。
なんかこの感じが久しぶり過ぎて慣れず、ああこんなんやったなぁなどとしんみりしていた。
お母さん、うち、ちゃんとごはん食べよりますよ。

帰りは紀伊國屋書店で燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』をお迎えした。
Web連載の時から追っかけていた小説がついに刊行された。燃え殻さんはTwitterの人です。
あとTSUTAYAによってブレイブハートとパッションというメルギブ祭りを思い立ち借りる。
渋谷はもはや揮発性の悪意が漂っているようなもので、歩くだけで不快指数がガンガンあがり、人類を憎む。虫のなく涼しい風吹く岡山に帰りたい。

とりあえず今のところ体調不良になってないのでよし。
明日も早起きできたら勝ち。