テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-06-30の防黴

今日は曇り。

昨日は後輩が神奈川にいったので妙に部屋が広く感じた。
別に2、3日泊まった人間がいなくなっただけなのに、その感じが落ち着かなくて、僕はつくづく面倒な男だなと思った。
やっと自分の布団をちゃんと敷いて手足を伸ばして寝られるわけでありがたいのだが、その窮屈さとは裏腹に自分以外の生物の呼吸音というのはなんらかの作用があったらしい。
あるいは張っていた気が緩んだだけなのかもしれない。
ゆきゆきて神軍という有名な映画を見ていると、どこか居心地が悪くなってきた。
噂はかねがね聞いていたが、僕は感情表現がみたいのであってむきだしの感情にはストレスしか感じないらしい。もちろんそこにだって作為や演出はあっただろうが、見ていて心地のよいものではなかった。

昼頃布団から這い出して食パンにブルーベリージャムでも塗りたくって食べるかと思ったら、四日前に買ったパンには白い点がポツポツと付着していた。新たな生命の誕生である。梅雨である。
相変わらず空は重たく空気も重たくクーラーによって除湿されているはずのこの部屋にさえ重苦しいなにかが蔓延ってるように思われた。
ぼくは出かけることにした。
本屋でオードリーの若林が書いた『社会人大学人見知り学部 卒業見込』という本を買った。
前から存在は知っていたし、連載してたときもちょいちょい読んだりしていたがなんとなくしゃらくせぇなと思っていてずっと敬遠していた。
この前ネットの記事で頑張って働くことに疑問を覚えたみたいな同書の記述に謎のシンパシーを感じて読むことにした。
なんというか相当こじらせていてすごい。こじらせの一言でまとめるのは無作法とも思うが、よくこれで生きてこれたなと思った。僕もわりかしネガティブな方だがここまで卑屈ではなかったと思う。
そんな男が少しずつおっさんになることで穏やかになっていくのは恐ろしくもあり、希望でもある。
僕もいつか、おっさんになるのだろうか。
なれるのだろうか。
まぁ時間はかかるだろうが、勝手に年はとってしまう。

今日で六月が終わる。つまり1年の半分が終わる。
ありふれた月並みな表現だけど。
でもそれは嘘やろと思う。
年度の変わり目のせいで感覚が狂う。
過ぎた半年は早く思うが、これからの半年は長く感じる。
東京にきて迎える二度目の夏がすぐそこまで来ている。
帰り道、半月がぼわわんと光っていた。
どこまでも暗い空にわずかに明るい。
ソーダ味の氷菓をかじった。