テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-06-24の緊張

今日は晴れ。圧倒的な晴れ。

2時すぎに寝られて8時に起きられた。高校時代はもっと過酷な早起きを続けていたことを思うとすごいなーとなった。満員電車に揺られた。
一時間半に1本の座れるフェリーと10分と間をあけずやってくる満員電車。
どっちが便利なのかは考えてもよくわからない。

今日は『ゴドーを待ちながら』のプレ稽古。
朝、食欲がなくてゼリーを食べてたら「ベっぴーはイメージ通りのものを食べるね」と言われた。
違うんですこれはそんな理由じゃなくてごはん食べたら胃がびっくりするからなんですよと思った。季節が悪い。大学入ってからずっとこの時期はゼリーかヨーグルトかサラダを食べていた気がする。
点呼や掃除にもまだ慣れない。探り探り。
読み合わせは新鮮だった。四月の終わりにやって以来の読み合わせ。あの時よりもみんなの声に注意を払った気がする。この人こんな声出すんやーとかこの読み方おもろいなーとか。
今は自分に自信が無いのでみんな自分よりもうまく聞こえるし、自分よりもよく戯曲を理解しているようにも聞こえる。いけんいけんと頭の中の雑念を振り払う。高校の時も大学の時も去年も、僕は大体どうにかなったので多分これも気のせいということにする。
みんな黙ってるから賢げにみえるけど僕の方が賢げだから大丈夫大丈夫と思っとく。
演出の鵜山さんもこれどういうことなのかね〜と探りながらなのが面白い。
僕は分からないからもうええやとわからないままにしてたけど、前のセリフを受けて変化していく演劇という階段の一段一段にこだわっていくのは果てしないようで確実なのかもしれない。
今回読んでみて思ったのは優しくしなきゃーと思って読むと途端にBLっぽくなるというか、そりゃ2人で気にし合いながら別れる別れないとかワガママいってたらそう聞こえるのは当然で、それも悪くないかなと思う。
がしかしそういうのがノイズになってしまうのももったいなく思われる。
ゴドーは魚で言うとアンコウに似てる。魚は魚なんだけど他の魚みたいな捌き方が出来ない。掴みどころはないように思われてでも手がかりはある気がする。今まで接してきた物語(映画、ドラマ、小説などなど)すべて含めてもこんなお話はないし、そこが稀有で美しい。ストーリーという骨を持たない怪物。それなのに自立し歩行する怪物。
1952年以来世界中を翻弄してやまないのはその謎ゆえなのだろうなーと思う。謎でなければ何を愛せようかといったのはジョルジュ・デ・キリコだけど僕はまたこの謎を愛し始めている。
これから一ヶ月暑いけどクールな夏になりそうだぜ。

なんか気が向いたので中野で降りて商店街を探検した。地元の商店街や岡山の表町とかを思い出しながらその何倍も活気があって都会だなーとしみじみ思いつつ、通りを1本奥に入ってバーのランチ営業に入ってみた。竜田揚げプレートを食べて火傷した。とりあえずごはんさえ食べられれば心配ないし、心配されないからちゃんと食べるぞと思った。
今日は早起きして満員電車にも乗ったからあずきバーも買ってみた。甘くて美味しかった。
眠くなったのでお昼寝をした。幼稚園児みたいだなと自分でも思う。変な夢を見てたくさん汗をかいた。
寝汗はひとつのサインで、これがある時は大抵悩みがある。岡山にいた一昨年はホントにひどかった。体や心よりも無意識は正直だと思う。そのうち寝汗もかかなくなるといい。
スーパーでお寿司が半額だったので買ってみた。
『皆殺しのバラッド』というメキシコの麻薬戦争のドキュメンタリーを見ながら食べたら死体がたくさん出てきてびっくりしつつ、僕は死んだ魚の薄切りを載せた酢飯を頬張っている。海の向こうの戦争。小さな部屋の平穏。扇風機の駆動音。
夏は静かでうるさい。
僕は一年ぶりに緑茶を淹れた。