テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-06-20の冷房

今日は晴れ。夏のやる気が感じられてうんざりする。

昨夜は友達と久々に4時間の長電話して楽しかった。恋バナなどでお互いにキュンキュンなりギュンギュンした。心のスポーツという感じがした。やはり持つべきものは話の尽きない友達である。

今日は下北沢は東演パラータにて新劇交流プロジェクトの『その人を知らず』の稽古場見学にお邪魔した。鵜山さんの演出を事前に拝む目的でしたが、最前列の桟敷に座っての涼しくもねっとりとした6時間でした。
お話は戦時下のキリスト教徒の青年を中心に、信仰と転向と政治と戦争を問う大作でした。
見ててすごく思ったのがマーティン・スコセッシの『沈黙 silence』でした。あれは江戸時代の長崎を舞台にキリスト教の宣教師が棄教を迫られるツライツライ話でしたが、『その人』は戦時下の東京が舞台で、これもまたある意味で棄教というか転向を迫られる話です。江戸時代のキリシタン弾圧も遠くなり、海の向こうと戦争をするような時代になっても信仰や信条はなんらかの形で体制と激突してそのあえかな真心をボロボロにされるのでなんというかやるせないです。祈りを持たずに生きるのは辛いのに、祈りを持ち続けるには人間は脆すぎるというのは『沈黙』を見た時の感想ですが、『その人』の方はなんというかツライけど強いとこもあってうぐわぁえーとなりました。
主人公は大人になれないというか、ここでいう大人というのは自分が信じているものを実際家として見て見ぬふりするということだけど、彼は見えてるものから目をそらさないし、周りからどれだけ頼まれても視線を切らさないのでなんというかもはやさんざんフリを無視するギャグみたいでした。フリに付き合わないやつをノリが悪いと非難するのは簡単だけど、最後まで流されない強さは誰もが持てるものではなくて、真っ当に生きることは傍から見ればギャグなのかもしれんなーと思います。
ノリが悪いと生きづらさはあるだろうけど、いつもいつも他人に乗らされるよりも自分のノリを、自分のビートを、持ってることの方が尊くしぶとく難しいことでだからこそ僕もそうありたいと願います。

帰りは1期上のお姉さんたちと染ちゃんとうどんを食べました。ビバ丸亀製麺。マイソウルフードイズウドン。
丸亀のテーブルでも冷房が直撃でした。