テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-06-15の諫言

今日は晴れ。絶好のゲネ日和。

サンタサングレみながら寝落ちして程よく早起きしてアトリエへ。
今日は『家を出た』のゲネ。
Aチームは通しも見てなかったので初観劇。
Bチームとは全然違うし、夜間部の男子も出てて変な感じ。
演者が変われば同じ戯曲でも変わるというのは散々知ってるつもりだけどやはり面白い。

卒業以来で同期も見に来てたのでひとしきり久しぶりーといってはしゃぐなど。しかしながら、久闊を叙したところで僕の方は舞台出てないしここ2ヶ月悄然としていたので浮かない顔をしてたことと思います。最近どう?ときくのもはばかられて。

今日はどこにいても居心地が悪くてとても困った。ロビーで入場案内してても、客席で見てても、開演何分前ですという声に少しも緊張しないこの感じが凄く居心地が悪い。
たしかに緊張しないのもそれはそれで楽ではあるんだけど、僕はそんな気分を味わうために東京に出てきた訳じゃない。
打席に立ちたい、というよりも打席から遠のいてバットコントロールとか選球眼とかが鈍ってそうなのが怖い。
エンジンが錆び付いてそうなのがこわい。
鞘の中に収められたまま切れ味が落ちていくのがこわい。
安全な港に舫で繋がれて荒波の越え方を忘れるのが怖い。
いきってボールに手を出すのも、いきなりアクセル踏んでガス欠になるのも、なまくらで自分や味方を傷つけるのも、海原に出る前に難破するのも怖い。

ひとつの運動体になっていたい。躍動し振動し影響されるひとつの運動体。
筋肉が日に日に衰えるような、運動神経が日毎に腐って消えていくような、そんな感じ。
悔しいという気持ちともまた違う。
レギュラー外れたとかそういう類の問題でもなくて、順番は夏に回ってくるわけだけども、そこはかとないお情けの匂いは嗅いでしまうし、そういうんじゃない。
悔しいという一言で思考を止めたくない。
この質感をなんとかしたい。

早く鉄火場で燃え盛りたい。ドロドロのグズグズになりたい。そこから甦りたい。
緩慢な生は緩慢な死と変わらず、性急な生はなにも産まない。

結局僕に出来るのはこういう字句の粉飾による気分のドーピングだけというのも虚しい。
はぁ、台本読まなくちゃ。