テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-06-11の寝言

今日は曇り。

昨日は散歩したおかげか1時すぎに寝ることが出来た。五時過ぎに起きて嬉しさのあまり三度寝くらいしたらいつも通りの昼過ぎに起きた。

寝る前にホーリーマウンテンを見終わった。
もうなんというか今まで観た映画の中で1番毒気がある画面の連続で知らず知らずニッコリしてしまった。三年前に同じくホドロフスキーの『リアリティのダンス』を見に行った時は、何が起こってるのか少しも分からず、フリークスの人たちがトラックに満載されて処分されたり、男の子達が木のチンコでオナニーの真似事したり、おしっこかけたらペストが治ったりともう訳が分からず一緒に見に行ったG2とやばいやばいと言い合った思い出がある。
だけどもあれから3年経ってホドロフスキーのやばさもなんとなくわかるようになって、家でDVDで見たからって言うのもあるが少しも不快感がなくて、なんなら少し快かった。
画面が日の丸構図というか病的に左右対称にこだわってるのはウェス・アンダーソンとかキューブリックの映画見ても心地よいし、芸術の王道はやはりシンメトリーだとも思う。
ホドロフスキーのやばさはなんとなく荒川修作にも似てると思う。発想や色遣いのエキセントリックさと、ふしぎな浮遊感と調和。独特の人生哲学。

ホドロフスキーは哲学というより錬金術とか衒学と言った方がしっくりくる。哲学、といってウンウン考えるよりも人生を味わい尽くせよオラァ!みたいな力強さがあってよい。
僕は哲学よりも衒学が好きで、僕が思う衒学は新世紀エヴァンゲリオン椎名林檎なので、そこから察してください。要は文脈や意味の過剰さで、そこを深読みしても楽しいけど深読みしなくたって十分に凄さがわかるって感じ。

荒川修作の作品は奈義町にある現代美術館に見に行った。正確にはその近くの寺の銀杏の大木を見に母が僕を連れ出してくれた。
ちょうど大学に行けず体力がガタ落ちしてごはんも食べてなかった頃に無理やりでも連れ出してくれた母には感謝しかない。
この前その時の写真を見てあれから2年もう2年だよと母と話した。
まだ2年という気もする。あの頃はもうこのままダラダラニートだなとか色んなことから負けて友達にも会えないみじめな人生が始まるような気分だったが、現実はそうではない。
だから今ダメそうでもそのうちなんとかなるよ、と悩んでる友達にも言っていた。
絶望の中にいるとそういう言葉は届かないけど、それでも届けないではいられない。まぁ、上に書いたみたいな気分では明確にはなく、泥みたいなきぶんだったけど。

今日は昼間、ライターのさえりさんにお礼のDMをした。今年の一月に相談に乗ってもらった話が前進しましたーみたいにいったら、がんばれ〜という返事を貰えてなんていうか頑張ろうと思った。さえりさんみたいに素敵に生きていこうと思う。

今日は特に頑張ったり、いいことが起こったりもないけど機嫌はそこそこよかったので〇。