テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

悄然に起因する暴力の回顧

一日一記事という縛りはないし、あてもなくわけもなく文章を排泄したいからブログを書いてるのでまた書いている。

文章を書いている間は考えなくても済むのでダラダラ思考を垂れ流しているうちはやや心にかかるやつれが少ない。

哀しき獣を見終わったけど、悲しい気持ちになった。救いなんてまるでなくて生々しい暴力だけがあった。
僕の人生には暴力はあまりなくて、小4と中2のときに同じ男の子から殴られたのが1番暴力と密接なエピソードである。
小4の時はドッチボールのボールが彼に当たった当たってないのいさかいで僕はカシュッという音を聞いたのだが、それは彼の履いていたナイロンのズボンのせいだった。かすったのかもしれないし違うのかもしれない。でもその時殴られて僕の心の何かが凹んだのは紛れもない事実だった。
中2の時は昼休憩に友達と談笑していたらいきなりその子に横顔を張り倒された。彼について話をして笑っていたのは僕と話していた別のヤツでとばっちりで僕は殴られる。悔し泣きしながら5時間目の美術の授業にいったのを覚えている。誰も心配の声をかけてくれず、そのことでまたより一層泣けてきたことを思い出す。
彼はその後、高校で問題を起こして退学したときいた。九州だか四国だかにいったらしい。
成人式にもこなかったからその後はよく知らない。
なんでこんな話をしてるのかというと、僕が男らしさを獲得しないまま大人になっているのはやられてもやり返さないやつだからかなーとか人のせいにしたいからかもしれん。
男らしさは常に気を張ってなくちゃいけなくて、誰かを傷つけても男の子だからで許される。
僕はそれが心底むかつく。
彼の家庭の事情とか彼の心のささくれとかに共感や同情をしたからといって僕の心の凹みは改善されないし、別に優しくなったりもせず人と必要以上に距離をとるだけだ。
そういうやつに限って変に愛されたりするから僕はすごく面白くない。
たまに優しいやつよりずっと優しいやつの方が偉いのに、誰も褒めたりしてくれない。
大学時代を振り返っても優しさは利用されただけで特にこれといって見返りはなかった。
見返りを求めるのは美しくないけど、打算と生存戦略で優しくいようと努めているのだから仕方ない。強いていえば無言の信頼を勝ち得ていたのかもしれないけれどそんなものは目に見えないから僕をひどく不安にさせる。
飲み会の帰り、朝焼けの中を後輩を送って1人で家に帰りバタンと倒れたベッドの上で自分の道化っぷりにどっと疲れたことを思い出す。

こんな風にダラダラと思い出しても特に楽しくないし、読んだ人へ八つ当たりしたいみたいで美しくない。
そういえばさっき焼き鯖弁当を食べた。またお腹が減ってきた。
父から珍しくメールが来た。6月第1週は統計的に1年で1番体調が優れんらしい。へー、冬じゃないんだ。
気圧の変化に敏感すぎる僕は多分巫女とかの素養がある。

相変わらずまとまりのない文章だ。
だけど僕はこうも思う。
懊悩や悄然をなかったことにするのは不誠実だよ、と。
パワーストーンをボリボリドカ食いしてるみたいに見える同世代は信用ならない。もちろん見せないように鬱屈があるのかもしれないけど。

散歩がてらまたごはんを食べようと思う。