テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

redemptionのゆくえ、『問題のあるレストラン』を見終わって

問題のあるレストランを見終わりました。
#1から#10まで。
面白くない回は1度もありませんでした。
最終回ではなくて#10なのが好きでした。

1話を見た時、こういう感想を書きました。

『問題のあるレストラン』1話。不在の中心田中たまこに引き寄せられた5人。自己紹介も兼ねながら過去を述解する巧みで丁寧な(舞台っぽい)作劇。母親、能天気、高学歴女子、女装癖、対人恐怖症。およそ男社会の軛に苦しんだ者達によるredemptionが始まろうとしている。ワクワクするな!

redemptionというのは日本語にすると償還、救済です。
僕がこの言葉を知ったのは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の劇中マックスがフュリオサにいうシーンです。
囚われていた女たちを連れて緑の地へと逃げるフュリオサ。ついにたどり着いたと思われた緑の地が幻に消えてフュリオサが慟哭したのち、塩の湖を越えようとします。
フュリオサを引き留めるマックスがこう言います。

「At least that way,you know,we might be able to ...together...come across some kind of redemption.」
無事に砦に戻ることができれば―みんな―いちから やり直せる

いちからやり直すというのもredemptionの訳として素敵ですね。
これは前半のフュリオサのセリフを受けてのものです。
どうして逃げるのかと問うマックスにフュリオサは一言
「Redemption」
ここでは「過去を清算する」と訳されていました。

問題のあるレストランをみて僕は田中たま子にフュリオサを重ねていました。親友藤村さつきの受けた屈辱を雪ぐためにライクダイニングサービスと雨木社長に勝つ。その為にもシンフォニックの向かいでビストロフーをやり抜くのだ、と。
#9でこの雪辱はある種のピークを迎えます。雨木社長が謝罪にむかう、週刊誌の取材を受ける、等。
これは#10で謝罪があって終わりなのかなーと思っていましたが、蓋を開けてみると#10は幽遊白書であり、ラ・ラ・ランドでした。

幽遊白書のラストをご存知でしょうか?
あるいはスラムダンクアイシールド21でも大丈夫です(圧倒的ジャンプ)。
要は、最高潮のその後を描く最終回です。
その余韻の方を描くのがグッときます。勝利の只中の陶酔や興奮ではなくて、祭りのあとのなんとも言えない後味。舌の上をすぎ、喉元を過ぎた後の味。
結局、雨木社長は週刊誌や新聞に叩かれて失脚、シンフォニックも閉店となります。
ビストロフーの完全勝利かに思われましたが、ちょっとした綻びから彼女たちもまた留まり続けることを許されません。

Redemptionは
revenge(日本語にするなら復讐)や
avenge(日本語にするなら報復)とも違います。
やられたらやりかえす、悔しいからやりかえす、見返すとかそういう応報の話ではなくて
自分が失ったものを取り戻す、わだかまっているものを融かす作用だと思います。
その意味において、三千院さんも、ハイジさんも、パーカーちゃんも、喪服ちゃんも、あいりちゃんも、烏森さんも、そしてたま子も#1の時とは違うところにたどり着いて少しだけ生きやすくなったかのように思えました。

門司くんというキャラはまだ男社会に染まってない男として、無関係や無関心ではいられないのだということを示すキャラかと思っていました。
ちょっと穿ったこというとたま子に啓蒙される(つまりは未開で未明の)キャラなのかなと思っていました。

だけど違った。
門司くんだって1人の人間であって、主人公たま子に都合のいい存在ではない。
たま子が最後の夜にみんなに語った門司くんには門司くんに合う人がいるという話はすごくいいなーと思いました。
自分が変わる必要も、相手を変える必要もないんだと。
ラブストーリーはエゴではない。

そしてラ・ラ・ランドといったのは、まぁあれです。幻視される理想の美しさに泣いたということです。ややネタバレごめんご。
友人の言葉を借りれば「結ばれるだけが運命じゃない」。
自分が勝つのだけが運命ではないし、勝つのだけがカタルシスではない。
だけど理想通りにはいかなくても世界は少しだけマシな方に変わっていくことを知りました。
素敵なドラマでした。

女が幸せになれば、男も幸せになれるのに

1話のこのセリフもまたすこしだけ叶ったような気がします。

素敵なドラマをありがとう。