テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

また逢う日まで

脳が壊れてからなのか、妄執に囚われている。

もう二度と友達に会えないという妄執。

これが妄執であることは人生を長いものと捉えられる若者ならではの発想である。
筆者は平成1桁世代なのでまだまだ若者に分類してもらえるのだが、この妄執に取り憑かれてしまった。

悲しい。悲しいことなのにそれを自助努力で解決できないから辛い。
辛いとどうしようもなくなる。

全部全部気のせいだよ、そう言ってくれると助かるのだが、根本的には妄執に負けるのでしんどい。

人の痛みがわかる所は優しくできる長所ではあるが、僕の場合はそのセンサーがバグっているのでとても困る。
友達に会いにいく努力が中々出来ぬ。
会いたい⇒会うまでの矢印をとことんまで短くできていた頃はまだ脳が元気だった。
春めいてきて軽躁ぽくなり、穏やかさとひきかえに社交性を獲得しつつあるが、友情維持活動にまつわる行動が酷く苦痛を伴うようになった。

連絡を取る、会う約束を取りつける、相手の喜びそうな場所をピックアップする、予定を合わせる、予定通りに行動する、待ち合わせ場所にちゃんといく、そんな色々が以前はかなりの精度で出来ていたのに、脳が壊れてからはことごとく無理になった。悲しい。

加えて同級生はライフステージをきちんと上がっていくのに、僕にはそれが出来てない。
上がっていないことの善し悪しは主題ではないので置いとくとしても、収入の違いに住んでるところの違い、あった時に話してもいい事柄・地雷…本当に気が遠くなる。

これから先の人生は長いと仮定しておかないと気が遠くなる。
とりあえず今日のところはそうしましょう。
いつもならもっと長く書けるのに短いあたりに本当の悲しみがあるよね。

昔の名前で出ています『キング・オブ・コメディ』をみて

『キング・オブ・コメディ』はこの前からハマっているマーティン・スコセッシの監督作品で、主演はロバート・デ・ニーロです。amazonプライムビデオはコメディとして紹介してました。

芸人さんの名前の元ネタということしか知らなかったけど見てしまってよかった。
見てしまって、というのは主人公のルパート・パプキンという男が他人とは思えなくてめちゃくちゃ怖かったからです。
コメディアンに憧れてるパプキンは売れっ子コメディアンの出待ちをして、危うくファンの女に襲われそうになった売れっ子を助けます。
助けたついでに自分を売り込んで、助けられた恩もある売れっ子は「君には才能があるよ」みたいなことを言う。
これを真に受けたパプキンは誰にも止められない暴走をしていくというお話。でもその暴走は本人には誠実な前進でしかない、というのがすべての悲しみの原因。

誰でもそうだと思ってたけど社交辞令の「今度飲みに行きましょう」がめちゃくちゃ苦手だ。誘って貰えるものと思って待ってたらいつまで経っても誘ってもらえず、あ、なんだ社交辞令だったのかと傷つくことが何回かあった。
パプキンという人は「今度飲みに行きましょう」と言われたら「分かりました〜」と喜んでにこやかに挨拶したかと思うと次の日、その人の家まで押しかけて「飲みましょ〜」というヤバさを持つ男である。これは愛嬌がある、熱意があるとかではなくて純粋にやばい。

僕もそこまでやらかしたことはないけど、「今度飲みに行きましょう」と言われたら後日こちらから予定を聞いて本当に飲みに行くようになった。待って傷つくのも辛いので。
そもそもその社交辞令を言うことがいやだったので決して言わず、「以前に〇〇がお好きと伺ってたので、一緒にこの〇〇いきませんか?」みたいにして搦手から攻めて会いたい友人に会ったりしていた。

パプキンはこれと全く同じことを初対面の人間にやる。
なんのために?自分の夢のために。

スタンダップコメディアンとして売れるという目標のためなら努力はすべて是になり、助けた売れっ子コメディアンの言葉を盲信して何度も何度も押しかける。
これと似たことに僕は憧れがあった。

ヒミズ』でヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞を取った染谷将太園子温監督に会いたくて監督が出没する飲み屋街をうろつき、顔を売った。
『SCOOP!』でヒロインを演じた二階堂ふみは、大根仁監督に会うために監督が参加した恵比寿リキッドルームでのフリーマーケットに行き、出演を直訴した。

因果関係は必ずしもこのエピソードの通りに直進してはないかもしれないが、まず会いに行ったところから全ては始まっている。

実は僕もこのフリマに行った。
監督がTwitterで告知してるのをみてこれは行かないと行けないと思ってバクマン。のブルーレイボックスをカバンに忍ばせて恵比寿のリキッドルームまでいった。結局大根仁監督には会えなかった。
二階堂ふみがこのフリマで監督にあったと知ったのは後の『SCOOP』公開時のTwitterだったけど、二階堂ふみと同じ戦法を取ろうとした俺は間違ってねぇ、やっぱり二階堂ふみは最高と思った(二階堂ふみが行ったのは僕の前の年らしい)。

出演するというゴールのためには、まず顔を売らないと始まらないと思っていたので少しも自分の行動原理に疑いを持たなかったが、『キングオブコメディ』をみてめちゃくちゃ怖くなった。

完全にパプキンしてる。してた。

タクシードライバー』のトラヴィスには感情移入や投影しづらかったけど、パプキンはマジで俺か??と思う瞬間があり、感動とかそんなチャチなもんじゃなくて告訴されたみたいな気分になる。

これまたスコセッシの演出が上手くてイヤになる。
前回取り上げた『グッドフェローズ』よりも前の作品なので音楽を鳴らしまくったり、モノローグ演出をしたりとかはまだないが、基本的に映画で他人と関わって孤独を埋めたいスコセッシの作家性と《理解されない男の必死さ》がバチッとハマっててグサグサくる。
監督がもっと別の人、たとえば三谷幸喜だったら同じ脚本を使ってもドタバタコメディとして演出してくれそう。とにかくスコセッシの孤独な男に対する理解と諦め、同族嫌悪が綺麗にキマッている。

妄想を人は笑う。
ドン・キホーテ』の騎士道に憧れてるドン・キホーテが笑われたみたいに。
だけど妄想が現実を侵食した時、つまり思考が行動に移ったときに人は充足を感じたりするわけで(お腹がすいた→ごはんを食べる、眠い→横になる)、
なんというか明確に区別して善し悪しをジャッジしてよいものか困る。

無論、犯罪行為にまで至るパプキンさんはどうみてもアウトなんだけどその心情は痛いほどわかってしまって、『キング・オブ・コメディ』は傑作だと言わざるを得ない。

その作品を受信するにはその作品に似た要素を自分に抽出しないといけないかというと、必ずしもそうではないが、そこがハマってしまうとこんなに長い文章を書くハメになる。
書かんと気持ちが収まらん。

みんなはそこまで『キング・オブ・コメディ』にハマれないだろう。
この優越感を味わえるだけでも東京に行ってよかった。

ぼくは田舎のmisfits

隣の島は違う文化圏だ。

ちょっと用事で隣の島に出たらお腹がすいたので定食屋に入った。
孤独のグルメ』はなんだかんだいって都会の田舎の定食屋にいくので社会性があるが、地方の田舎の定食屋は部外者への愛想はほぼない。
ましてや島である。
観光気分の若者か、ちょっと頭の足りない子が来たと思われていそうだった。
隣のテーブルでは気性の荒い島の住人という風情のおじさん3人とおばちゃん1人。
ぼくはきつねうどんを頼んだ。
店主は余計な愛想がない無骨な感じだったので、やはりというかまさかというかうどんはとても上手い。甘いおあげと出汁のうまみがすごい好きなタイプのうどんだった。讃岐うどんほどコシはないけど博多のうどんよりは固め。まさにノスタルジーとか概念としてのうどんの味だった。
お会計の時に「美味しかったです」と小声で伝える。店主さんの顔は怖くて見れなかった。
「頭の足りない子はわりに礼儀正しい」という田舎の常識に則った行動をとった。

店を出る時、営業中の札が店内の方を向いていて、あ、まさか、と思う。もしかしたら入店してた時からひっくり返ってなかったか?
もしかしたら隣のテーブルの4人はヤクザ系の人だったので今日はもう終わりというか貸切だったのかもしれない。
田舎特有の、定休日じゃないし営業時間内なんだけど今日はもう終わり、というやつに当たってしまったのかもしれない。
そんな所にうっかり来ちゃった観光気分の若者みたいな頭の足りない僕に美味しいうどんを出してくれてありがとう。

時間があったので家電量販店にも入った。
田舎の家電量販店は基本的に金のあるヤンキーが1番高い家電を買いに来るところなので、僕のような髪の長い・生気のない・リュックを背負ったメガネのオタクは、観光気分の変な若者か、頭の足りない子だと思われている。
それを証拠に家電を買う気がない冷やかしだと分かると、明らかに仕事を任せてもらえない感じのジジイが付きまとってきた。
最初は40くらいの男性が接客に来たのに「なんとなく見てるだけなので…」と購買意欲の薄さをやんわり伝えると追い出しモードがかかったのか、仕事を貰えてなさそうな手の空いたジジイが度々やってきた。

「これはDVDプレーヤーなのでブルーレイは見れないんですよ 」
「…はぁ」
と一生懸命に語ってくれるジジイのトークに相槌を打つのも曖昧なオタク。
きっとジジイも年下の上司などに
「お前あそこのオタク見てこいよ、万引きとか注意な」
とかいわれ、ジジイにも生活があるので年下の上司などに逆らえず、頭の足りない子が来たのか優しくしてやろう、いっちょいい所見せますか、とタブレットなどを駆使して接客をしてくれたのだろう。
この手の優しさが僕にはひどく億劫で、ほっといてほしかった。
別に話相手がほしかったり、営業トークをさせる手間を取らせたりしないので家電を見せてくれ。
ブルーレイプレイヤーから離れてプリンターへ。
じじいが来る。
トイレに行ってからまたブルーレイプレイヤーへ。
じじいは来た。

ちょっと疲れたのでテレビコーナーのベンチに座っていると
「クローシュですよ、クローシュ」
と例のじじいが親しみを込めて教えに来てくれた。閉店時間だった。時刻は19時。
ジジイは頭の上に化学繊維を髪の毛状にしたものを載っけており、きっと生活のために頑張っているんだろうなと思った。

都会のチェーン店のマニュアル対応が懐かしかった。どこの誰とか関係なくサービスを最低限提供してくれればそれでいい。
家電に悩んだらちゃんと調べる元気はあるのでほっといてほしい。
田舎の温かみは都会に疲れた人には作用するのだろうが、今の僕には荷が重い。

頭の足りない子とかいってたけど、それがイヤな子は就職して都会に避難できる。
頭の足りない子だと僕がかつてバカにした同級生にもこんなしんどさがあったに違いない。偉そうにそんなことを書くぼくはいつだって傲慢だ。

東京にいた時?
楽しかったし、楽でした。
都会のmisfitsだったけど。

急にスコセッシにハマった

スコセッシというのはアメリカの映画監督でマーティン・スコセッシといい、まだ生きている人です。

寝られない夜はスコセッシがいい気がして(孤独だから映画を取り始めたのに映画をとっても孤独だよという映画祭での小話が好きだから)、『グッドフェローズ』をamazonプライムビデオでみたらめちゃくちゃ面白かった。
グッドフェローズは実在のギャングの一代記で『ジャージーボーイズ』の序盤、歌に出会わなかった場合のフランキー・ヴァリがこうなるって感じの映画。地元じゃ負け知らず〜。
とにかく映画撮るの上手すぎんか?この人??とすげぇアホみたいなことを思う。

タクシードライバー』はかろうじて見てたけどそこまでハマらず、名前は聞いたことあるけどハマらない監督というイメージだった。
『沈黙 サイレンス』はすごい好きだったけど、スコセッシが好きとは思わず題材に惹かれただけかなと思ってた。

でもここに来て『グッドフェローズ』で作品よりも監督が好きになった。
まずリズムの出し方がすごく好き。
カットとカットが短いときもあれば長い時もあり、雑に言うと味が変わり続けるパフェみたいで食いやすい。
画面だけでなくて音楽とかモノローグも楽しい。情報量がたくさんあると興奮する性質の人間にはぴったりだ。
話を運ぶ、と簡単に言うけどそれには適切な運び方があり、スコセッシがやるやつが俺は一番好きかもしれん、とすら思えた。

果たしてこの恋心はほんまか?とおもって前に見てそこまでハマらなかった『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』をプライムビデオで見直したらめっちゃくちゃ面白くなっとる。正確には既製品は面白くなるはずはないのにおれが面白く見れるようになっとる。
リズムの出し方がスコセッシ流だなーと思えるようになってみると、お気に入りのアーティストの新譜が増えたみたいな喜びがある。

グッドフェローズ』はギャングたちの話なのでメンツの保ち合い、言質とりゲームみたいなのが随所に出てきてすごい面白い。
「面白いっすねー」
「は?てめ、なにがおもしれぇんだよ、なに笑ってんだよッ」
みたいにどう切り返しても怒られが発生するじゃんそれ、という会話が出てきて暴力発生というオチ。

それが『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』では証券マンならではのおしゃべり(契約を取付けるための営業トーク、探りを入れてくるFBI捜査官を買収できるかの駆け引き)に置き換わっており、スコセッシを監督に任命したプロデューサー兼主演のディカプリオ分かってんなコイツと思う。
自分で企画して主演する男のナルシシズムと、『グッドフェローズ』でもやっていたモノローグ演出がバチッとハマっていて凄くいい。
題材・主演・監督の三拍子揃った傑作だと思う。

グッドフェローズ』は1990年の作品、
『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』は2013年の作品。
フィルムからデジタルに変わっても撮る人のリズム感が一緒なんだなというのがよく分かる2作品だった。
もしプライムビデオ入ってたら続けて2本みてみてください。
(ウルフオブウォール・ストリートはR18なので居間で家族とは見ないでね!!!!)

楽しいことなんて

これからの人生、楽しいことなんてなんもねぇんだろうなと思った。

夜逃げみたいに東京から実家に帰って半年以上心も体も死んでないだけで、グズグズとくたびれて二度と起き上がれなくなって親以外と出かけられず、一生自己決定権を手放したまま、痴呆の老人みたいな生活を延々と続けるのかなーと思った。

自己責任だ、努力しろ、軟弱者め、働けば金は貯まる、その金でまたひとり暮らししてみろ、田舎は仕事がない?、甘えるな、みんな同級生はしんどい中
社会に揉まれて大人になっていくんだよ、酒飲んで寝りゃあ治んだよ
みたいなアドバイスは心の中で二万回再生されているので受け付けてない。
「主人公体質かよ」と僕を評した友達がいたけど、読み変えれば傍迷惑以外の何物でもない。その時傍にいたひとにも傍にいなかった人にも僕が生きてるだけで申し訳なくなった。
だれもそんなに人のこと気にしてないよ、が真実なのも知っている。
でも僕が考えられる現実は真実よりも優しくない。なので苦しんでいる。

誰にも迷惑をかけずに生きていこうかな、と思ったけど迷惑の定義が上手くできず、「家族も頼るの無しな」と心の中の審判がいうと、途端に生きている時点でゲームオーバーになって考えるのをやめた。


なにが言いたいのかわからなくなった。
今日、久々に友達に会って楽しいと思えた。
友達少ない少ないと思っていて、なおかつみんな働いてるから働いてない元気の無いクソ田舎の僕に会おうと言ってくれる人がいるだけで十分なのに、会ってみたら話すのが楽しくてびっくりした。
そういえば僕はわりにおしゃべりだったかもしれない。

東京の時の同期が「また東京来たら会おうや」と言ってくれるのが嘘みたいでまだ半分信じられない。
そう言ってくれるのは嬉しいのに、その期待には答えられないかもしれない自分がいてイヤになる。
もう一生東京にはいかない、なんて思ってないけど行けるとも思ってない。
また親に金をせびって観光気分で2、3日行くだけ行ってあー疲れたでも行かせてくれてありがとう、といって田舎で朽ちていくんかと思ったら考えるのがイヤになって考えるのをやめる。

なにが言いたいのかわからなくなってきた。

これからの人生、楽しいことなんてなんもねぇんだろうなと思ったけど、今日友だちにあったのが楽しかったので意外とそうじゃねぇかもなと思った。

そうだそうだ、そこまででいい。
そうだといってくれ。

ヤクザと母と待ち合わせと

その昔、僕が母のお腹にいる頃、母を街で見初めちゃったヤクザさんが家まで来たことがあるらしい。

当時は大正生まれで戦中を生き抜いた祖父が家にいたので話し合いで解決が行われ、僕はヤクザの愛人の子にならずに済んだ。

この前母と出かけたとき、待ち合わせがめちゃくちゃ苦手になっていて、あやうくずっとついて行きそうになった。ここで分かれたらもう会われんような気分になった。そんなはずはないのに。

その時、冒頭のヤクザさんの気持ちがわかった。
というかヤクザさんは望んでヤクザさんになった訳ではなくて、誰からも助けてもらえず自分の感覚だけで生きる渡世をせざるを得んくて、その結果好きになった女のうちまで行っちゃうようになったんかなと思う。
ヤクザは怖い・迷惑・という話じゃなくてその人にはその人にしか選べん人生があってそれを軽んじたりバカにするのは楽しいけどもう止めようと思った。

もちろん反社会的な生き方はしたくない。
でも社会的に生きられる人もそうじゃない人も生きてていい、生きてるわと思った。

だからなんだ、という話。
春の陽気のせいで疲れてきた。

今日の媚、完売につき

今日の媚、売り切れにつき閉店します。

そう言えたら完全閉店せずに済んだ瞬間が、何回かあった。

八方美人と馬鹿にされようが、周りが喜んでいると嬉しくなるタチの僕はいつもいつも頑張りすぎている。
八方美人に引いてる人にも美人でいたくて頑張りすぎるとかなりまずいことになる。なった。

媚びてたつもりは微塵もなかったけど、人から好かれないと埋まらない空洞から目を逸らすには誰かにありがとうを言ってもらわないとムリだった。

出来るだけ同期に、なるべく先輩に、もちろん後輩に。
円滑なコミュニケーションのために自分の心身の目減りは勘定に入れずに生きてみるとしんどいながらも「ここにいていい」と言われてる気がした。
気がしただけで十分なのに、言葉がほしくてたまらず、なにも言われないと「ここにおらんでいい」も言われてる気がして思考が夜になる。

東京で憧れた先輩は、僕の何倍もすごくて眩しくてその眩しさに近づきたくて、近づいてみると先輩は他人に媚を売るエネルギーを全部自分のために使う人で結局そのOSがインストール出来なかった僕は憧れに身を焼かれて死んだ。


だからなんだという話。
今日も生きるだけで精一杯。またいつかあの人の笑顔に会いたい。今は無理だけど。