テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-05-14の戯言

今日はやや曇り。

1日の内容もやや曇り。
先月から楽しみにしていた劇の公演を時間を勘違いして見逃す。
手帳には19時からとあったが、正しくは14時からであった。
今までこの手のミスをしたことがなく、手帳にメモすることにかけては無類の自信があったので余計に凹む。
情熱のフラミンゴの仙川でのグランプリ受賞記念の新作だったのに…悔しい…ごめんなさい

そういえば今日は母の日である。
先日同級生が初任給で家族に何を買おうかという話をしていた。
すごい。大人だと思った。
今日は母の日である。
僕ですか?
僕は母が欲しがっていた夏用の草履をヤフーショッピングで買いましたよ。
代引きで。
そもそも任じられていませんので。

家でいじけてても仕方ないなと思ったのでワイスピアイスブレイクをおかわりしに行った。二回目の方が安心して楽しめて面白かった。
今作は敵を舐められないってのがデカかったなーと思った。
車さえあれば何でもできると思った。
僕は車持ってないけど。免許もないけど。

映画館の暗闇だけは僕に優しい暗闇。

2017-05-13の戯言

昨日はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーリミックスを見に行った。
1を見に行ったのは2014年の9月だったと思う。

当時駅前にイオンが出来る前でチャリで1時間かけてTOHOシネマズ岡南まで出かけた。
先輩と今度はどーなるんですかねーなどと言いながらチャリを漕ぐとすぐ着く。
予告を見た時はなんか好きになれんかったけど、蓋を開けたらマーベルの映画で一番愛着が湧いたので不思議だった。
それから3年たって、続編を東京で見ている。
変なの。
次も東京でみれたらいいな。

今日は雨だった。
沖縄は梅雨に入ったらしい。
雨の日は好きだ。がんばって出掛けなくても許されるから。
雨の土曜日に布団から出ずに本を読むのが中学の頃から好きだった。
雨の日は好きだ。家にいる理由があるから。
今日は『問題のあるレストラン』を完走して少し達成感と切なさがある。
うちはテレビがないのでドラマをみるとなると借りるしかないのだが、久々にドラマを借りて見切った。
映画には出来ないテンポが好きだ。
やたら主題歌のピアノアレンジ流れるのも微笑ましい。
キャラへの愛着がはち切れそうである。
きっとどこかで胸がいっぱいになるごはんを作っていてくれるだろう。

そういえばごはんを食べてない。
食べないと同期にやつれを心配されるからなにか食べようと思う。

redemptionのゆくえ、『問題のあるレストラン』を見終わって

問題のあるレストランを見終わりました。
#1から#10まで。
面白くない回は1度もありませんでした。
最終回ではなくて#10なのが好きでした。

1話を見た時、こういう感想を書きました。

『問題のあるレストラン』1話。不在の中心田中たまこに引き寄せられた5人。自己紹介も兼ねながら過去を述解する巧みで丁寧な(舞台っぽい)作劇。母親、能天気、高学歴女子、女装癖、対人恐怖症。およそ男社会の軛に苦しんだ者達によるredemptionが始まろうとしている。ワクワクするな!

redemptionというのは日本語にすると償還、救済です。
僕がこの言葉を知ったのは『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の劇中マックスがフュリオサにいうシーンです。
囚われていた女たちを連れて緑の地へと逃げるフュリオサ。ついにたどり着いたと思われた緑の地が幻に消えてフュリオサが慟哭したのち、塩の湖を越えようとします。
フュリオサを引き留めるマックスがこう言います。

「At least that way,you know,we might be able to ...together...come across some kind of redemption.」
無事に砦に戻ることができれば―みんな―いちから やり直せる

いちからやり直すというのもredemptionの訳として素敵ですね。
これは前半のフュリオサのセリフを受けてのものです。
どうして逃げるのかと問うマックスにフュリオサは一言
「Redemption」
ここでは「過去を清算する」と訳されていました。

問題のあるレストランをみて僕は田中たま子にフュリオサを重ねていました。親友藤村さつきの受けた屈辱を雪ぐためにライクダイニングサービスと雨木社長に勝つ。その為にもシンフォニックの向かいでビストロフーをやり抜くのだ、と。
#9でこの雪辱はある種のピークを迎えます。雨木社長が謝罪にむかう、週刊誌の取材を受ける、等。
これは#10で謝罪があって終わりなのかなーと思っていましたが、蓋を開けてみると#10は幽遊白書であり、ラ・ラ・ランドでした。

幽遊白書のラストをご存知でしょうか?
あるいはスラムダンクアイシールド21でも大丈夫です(圧倒的ジャンプ)。
要は、最高潮のその後を描く最終回です。
その余韻の方を描くのがグッときます。勝利の只中の陶酔や興奮ではなくて、祭りのあとのなんとも言えない後味。舌の上をすぎ、喉元を過ぎた後の味。
結局、雨木社長は週刊誌や新聞に叩かれて失脚、シンフォニックも閉店となります。
ビストロフーの完全勝利かに思われましたが、ちょっとした綻びから彼女たちもまた留まり続けることを許されません。

Redemptionは
revenge(日本語にするなら復讐)や
avenge(日本語にするなら報復)とも違います。
やられたらやりかえす、悔しいからやりかえす、見返すとかそういう応報の話ではなくて
自分が失ったものを取り戻す、わだかまっているものを融かす作用だと思います。
その意味において、三千院さんも、ハイジさんも、パーカーちゃんも、喪服ちゃんも、あいりちゃんも、烏森さんも、そしてたま子も#1の時とは違うところにたどり着いて少しだけ生きやすくなったかのように思えました。

門司くんというキャラはまだ男社会に染まってない男として、無関係や無関心ではいられないのだということを示すキャラかと思っていました。
ちょっと穿ったこというとたま子に啓蒙される(つまりは未開で未明の)キャラなのかなと思っていました。

だけど違った。
門司くんだって1人の人間であって、主人公たま子に都合のいい存在ではない。
たま子が最後の夜にみんなに語った門司くんには門司くんに合う人がいるという話はすごくいいなーと思いました。
自分が変わる必要も、相手を変える必要もないんだと。
ラブストーリーはエゴではない。

そしてラ・ラ・ランドといったのは、まぁあれです。幻視される理想の美しさに泣いたということです。ややネタバレごめんご。
友人の言葉を借りれば「結ばれるだけが運命じゃない」。
自分が勝つのだけが運命ではないし、勝つのだけがカタルシスではない。
だけど理想通りにはいかなくても世界は少しだけマシな方に変わっていくことを知りました。
素敵なドラマでした。

女が幸せになれば、男も幸せになれるのに

1話のこのセリフもまたすこしだけ叶ったような気がします。

素敵なドラマをありがとう。

【ややネタバレ】エピソードVのその先へ GOTGvol.2をみて【ややネタバレ】

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックスことvol.2を見ました。

今回はワイスピアイスブレイクの時のようなうひょひょひょひょは感じませんでしたが、なんというか映画のもつ魔力みたいなのを感じたのでそこら辺を書きます。

タイトルのエピソードVはスターウォーズの話で帝国の逆襲とも呼ばれています。ファンの間では傑作と名高い作品。
細部は忘れましたが、この作品はシリーズ最大の衝撃が終盤にあります。
ダースベイダー(あの黒づくめのシュコーシュコーいうやつ)がルーク・スカイウォーカーに向かってある衝撃の事実を告げるというあれ。
これってもう親指を立てながら溶鉱炉に沈むシーンみたいなミームと捉えて大丈夫ですよね?????
まだ見てない???
ならこれから見てください。
(あれを言うのでややスクロールしてください)















「I am your father」
ダースベイダーことアナキン・スカイウォーカーはそう告げるのです。
今まで戦ってきたにっくき敵が自分の父親だと知らされた衝撃。
ついこの前まで田舎で夕陽を眺めていた青年が生きる目的を見つけて頑張っていたところに現れた父。

父ってなんじゃらほい
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2(以下GOTG2)を見て思ったのです。
ここからややストーリーに触れます。

前作で宇宙を救ったスターロード一行は宇宙の救世主業に今日も大忙し。依頼を完了したのも束の間ついうっかり大事なバッテリーを盗んじゃったせいで依頼主から追われるハメに。逃走の途上、ピンチを救ってくれたのはお髭が素敵なカート・ラッセルじゃなくてエゴと名乗る男です。
このエゴ、なんとスターロードのお父さんだと言うではないですか。
動揺するスターロード。戸惑いの中ガモーラとドラックスと共にエゴの星へと赴きます。
一方スターロードの育ての親ヨンドゥはかつての仲間から掟破りを咎められ、乗組員たちからも糾弾されてピンチにたたされます。
どーなる?スターロード!!


GOTG2を見て僕が真っ先に思い出したのは
『映画 クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』です。
シリーズ屈指の名作と名高いね、これね。
子どもと大人の対立の果てに、子どももやがて大人になること、大人だってかつては子どもだったことを教えてくれるある意味ビタミンムービーです。
おや、これもある意味、帝国の逆襲じゃんと今気づきましたぞ。なんかいい線いってるのでは??

GOTG2も父親についての映画です。
ずっといなかったけど本来ほしかったものが手に入った時、人は満足することでしょう。
それがスターロードにとってのエゴであり、エゴにとってのスターロードでした。
子供というのはキャベツ畑でなったり、コウノトリが届けるものではありません。
人間の場合は両性の生殖行動によって誕生するものです。
何が言いたいかと言うと自分がこの世に存在するためには少なくとも2人の人間の関与が必要ということです。
スターロードことピーター・クイルは父親を知らず母の愛によって育っていました。それが母との死別の日、ヨンドゥの手によって連れ去られたのです。
エゴの依頼によって。
しかしヨンドゥはエゴの元には届けず盗っ人としての技を仕込んで痩せっぽちをすくすくと育ててゆくわけです。

映画は多くの場合、父殺しというものを宿命づけられています。
自分よりも強大なもの、自分を生み出したものを乗り越えて自己を形成拡大していく。
スターウォーズはもちろんのこと。
このGOTG2もある種の父殺しが起きます。
悲しい真実を告げられたスターロードは、得たばかりの父親と決別するわけです。
しかしながら、スターロードは父親を知らなかった訳では無いのです。自分よりも強大なものに育まれて大きくなったのです。
その育ての父がヨンドゥだったわけです。
ヨンドゥ〜〜!
ここで大事なのは父親は殺さなくてもやがていなくなることです。でもいなくならない。
思い出の中で生きているから。それを教えてくれるあのカットバックで泣いたわ〜〜
そしてこれからの人生で父の思いを追体験することもあるでしょう。その為のグルートかー!!すごい!すごすぎるぅ…

えーっと長くなりましたが、エピソードVのその先にと題したのはスターウォーズ以降のスペースオペラとしてちゃんと発展していたからです。父親の大きさを超えるだけでなく、自分が育てられて守られていたことを感じる。それをシリーズ2作目でやりきったGOTG2はすごいなーとそう思ったわけです。人生かよと思ったわ。
もちろんスターウォーズでも父子は最後の最後で助け合うわけですが。


なにはともあれありがとうジェームズ・ガン

おいしいとおもしろいは似ている

常々思う。
おいしいとおもしろいは似ている。
お ではじまって い で終わる。

みんなおいしいものが好きだ。
一人ひとり好きなものは違うけどその共通点はそれをおいしいと感じていること。
おいしいものを作るのは難しい。
舌が肥えて経験を積んだ人が技術によって作ることが出来る。
技術は一朝一夕では身につかない。
高いものは大体おいしいが、おいしいものがいつも高いとは限らない。
甘くておいしい、辛くておいしい、酸っぱくておいしい、しょっぱくておいしい、脂っこくておいしい…
おいしいの種類はたくさんあるけど、みんなおいしいものが好きだ。
おいしいものには大体栄養もある。うまいうまいと食べてるうちにみるみる元気になったり、病気がよくなったりする。
寒さに震える夜、孤独に沈む夜、おいしいものさえあれば救われる。
おいしいものを食べるのは簡単なのにおいしいものを作るのはむずかしい。

おいしいとおもしろいは似ている。
おもしろい作品を見たい聞きたい作りたい。
いまはとびきりおいしい作品を食べてやるぜ。

2017-05-11の戯言

今日はいい天気。
雲の形が夏って感じした。

下北沢にフライヤー配りに言った。
忙しそうにしている人にこんにちはーと挨拶し、文〇座という団体から来た〇〇と申しますーとかしか言えなくてつらかった。
なんだよ団体って。こええよ。
誰かうまい名乗りを教えてほしい。
マックフルーリーがとても脳にしみた。

夕方は青べか物語のゲネを見た。
ポップで楽しかった。
着物きたくなった。
美術館に飾られることもないような人たちの雑然とした暮らしがちゃんと立ち上がっててすごいなーと思った。

あとスマホからはてブロのフォルダとか出来んものかと悩んだりした。パソコンでやるか。

今日は人に会って喋って疲れたのでちゃんとお腹すいてちゃんとごはん食べた。
人に会うと丁寧に生きざるを得ないのでいいかもしれない。

今日は朝日を拝む前に寝つきたい。

女子力が嫌いだ〜問題のあるレストラン5話をみました

引き続き問題のあるレストランを視聴しています。
5話が刺さりに刺さったのでちょっと書きます。

今回はビストロフーのメンバーではなくてライバルビストロ=シンフォニックで働くあいりちゃん(高畑充希)がほぼメインです。
このあいりちゃん、いわゆるキラキラ女子とよばれるゆるふわな可愛さを纏って、その傷つきやすい内面をどうにか取り繕っています。

5話のあらすじとしては

なかなかお客さんが来ないビストロフーはランチボックスを売り出したり、バレンタインディナーを企画するが強大な資金力をバックにシンフォニックがそのアイデアを安価で提供して苦戦。
最終的には親子連れへの対応の差で明暗が分かれる。

で問題のシーンはシンフォニックで働くあいりちゃんとそれをやたらつけ回す池辺のくだりですよ。
池辺はもうなんか怖い。優しさを履き違えてやたらあいりを触るし、ロッカーを整理したよとかいって漁ってるし、おまけにごはんの誘いをお腹の調子が悪いと断ると引き下がるのではなく生理痛の薬を買ってくるという珍プレーで切り抜けようとするなど、もうこれでもかとアイタタタな男として描いています。
これはイケメンがやってたらとかそういうんじゃないんですよ。

たとえば今から12年も前の『電車男』という作品はモテないオタク男子がとても綺麗な女の人にアプローチしていき、愚直さで勝利を掴んだと言ってもいいお話です。
ああ、正直者は救われるんだなーとか見た目より中身なんだなーとか思ったような気もします(ここでひきあいに出しましたが電車男は普通に面白いです)。
でも電車男の最大の勝因は愚直さではなくて、イケメン描写特有の俺様的態度を一切取らなかった(取れなかった)ところにあると思います。

恋愛に奥手だから、(掲示板でとはいえ)他人に行動の是非を問い、悩み、不快感を与えることを極力避けて行動した。だからこそ電車男エルメスに引かれずに済んだと思います。

翻って池辺は(誇張であるとはいえ)、いわゆるマンガやドラマの記号的なイケメン的態度(髪を触るなどのボディタッチ、過剰すぎる気配り)をします。相手の迷惑を顧みず、よかれと思って。

このよかれと思ってがこわい!
あいりちゃんも直接波風が立つようなことを言えないのでどんどんエスカレートしていく池辺の奇行。
どうしてこんなに池辺を目の敵にしているかというと、一歩間違えば僕も似たような男になっていた可能性が(過去、未来ふくめ)あるからです。

よく気がつくことと相手のしてほしいことをするのが優しさではありません。
相手のされていやな事をしないのも優しさなのです。…ぼくが残念な男だったかは大学時代の友人に聞くとして…。


今回どうしても書きたかったのは行き場を失ったあいりちゃんがたまたまたま子達のマンションに転がり込んで堰を切ったようにまくし立てるセリフが辛かったからです。
「お尻触られてもなんにも感じない教習所 卒業したんで」
「その服 男ウケ悪いよとか言われても ああ すいません 気を付けます って返せる教習所も卒業したんで」
「どうしてしずかちゃんがいつもダメな男と金持ちな男と暴力振るう男と一緒にいるかわかりますか?」
「上手に強く生きてる女っていうのは気にせず 許して 受け入れて」
などなど…

たまこの返し
「気にしなくていいなんて言う人は あなたの心を殺そうとしてるんだよ」
そこにハイジさん
「女子力なんて男に都合のいい言葉じゃ本当の強さは測れないのよ」

女同士すぐそうやって癒し合う、そのままでいいんだよとかはトイレのカレンダーに書いといてください
というあいりちゃんの精一杯の強がりもまた辛かった。

僕は常々女子力という言葉が嫌いでそれは主に飲み会で料理を取り分けた時によく言われるからです。
僕がとりわけたのにも関わらず。
「女子力高いね」とかよく言われるのがとても嫌です。
料理を取り分けることは女の役目じゃない。
おれは早くごはん食べたいから取り分けただけじゃといつも思います。
あいりちゃんは強がって強がって男の人に奢られた金額で女の価値が決まると信じて生きてきてしまった。それで本人が幸せならいいけれど、今はまだ若いからチヤホヤしてもらえるけど、もっと若い子が出てきたらそのチヤホヤも終わるのだろうなと思って辛くなります。

自分の若さとか女らしさを武器にするのはいいけれど、それが他者に依存した幸せである以上嵐がきたら残酷に失われてしまう。
僕は女の人ではないのにこんなことを気にしてフェミっぽいかもしれない。
だけど『マッドマックス 怒りのデスロード』をみて僕は学んだのです。
自由は与えられるものではなく、獲得するものだと。

どうかあいりちゃんも幸せになれますように。
どうか池辺が相手は自分とは違う他者であると気づける日が来ますように。