テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

2017-12-13の寒い夜だから

今日はめっちゃ寒い。

昨日は何もできなくて寝込んでしまった。

今日はチラシを劇場に送る作業を自力でできないので手伝ってもらいにいった。

元気な時なら教えられなくてもなんともない作業がにっちもさっちもいかなくてめちゃくちゃイライラする。
正確に言うと沸騰するようなイライラというほどの高まりもなくダラーっとした自責感とかみじめさ、モヤみたいな情けなさで心がきゅーっとなる。

昨日何もできなくて夏頃のゴドーの稽古をしてた時期の記事を読み返してみた。あの頃は毎日必死で帰りの電車でブログを吐き出して、どうにか戦っていることを確認していたが、その文面を改めて見直してみるといっぱいいっぱいで病んでるなーと思った。読んでる自分が病んでるからそう感じるのかもしれないけど。
すでにあの頃から食欲がない記述が多かった。ストレスで揚げ物惣菜をよく買っていたのもよくなかったのだと思う。
精神的に苦痛を感じる部分もあるにはあったが、楽で楽しくあるべきとも思ってなくて立ち向かってることに酔ってる部分も多分にあった。

稽古が終わってチラシを数えていると孤独や孤立という気持ちが抑えがたくなってくる。
去年演出家さんに「ちゃんと友達いるの?」と聞かれた時は笑ってごまかせたが、今この瞬間にそれを聞かれたらうまく笑えないと思う。
実際友達はいると思っているけど、さっきのあの空間にぼくは存在していなくていてもいなくてもいい人間だった。
声をかけてくれた人もいるにはいて、お前俺が見えるのか、みたいな気持ちもあったが朗らかに応対出来ないため、自然声をかけようという人もいまい。
沢山声をかけられたらこの気持ちが氷解するわけでもなく、そっと見守られるのを望んでいるわけでもない。
稽古終わりに疲れている人々相手に余計なことをと自分でも思う。
自意識過剰だなと自分でも思うし、考えすぎだよとアドバイスめいて言われたとしてもなんの意味もない。
川を見て「水が流れてるよ」というくらい無為だ。そんなの自明だ。
要は認識の問題で、世界が濁って見えるのも輝いて見えるのも自分の状態の鏡でしかない。
だから原因があるとするなら自分自身なのもよく知っている。
雨が降って水かさの増した川に近づくのは危ないことだけど様子をつい見に行ってしまう。

迷惑をかけている分役に立たなくては、と思って行動しているが達成感や帰属感を検知できず、なにかするたび無力感に苛まれる。なにもしなければそれはそれで無力そのものだ。
そういう状態を病んでるというのかもしれない。
今の今まで考えもしなかったが、ストレスの原因は稽古場なのかもしれない。役に立ちたい、仲間でいたいといった諸々の願望は決して達成されることはない。一つはすでに仲間であり役に立っているためことさら強調されない可能性。もう一つは脳がバグっているせいでどれだけやっても穴の空いたバケツに水を入れるみたいなことになっている可能性。
ペダルが欠けた自転車を無理やり漕いで進むことにどのくらいの意味があるのだろう。ちゃんと止まって自転車を直せればいいのだけど、ズテーンと倒した自転車をまた起こす力は湧くだろうか。この自転車にはいまスタンドすらもない。


先日手伝えなかった作業のことを先輩に謝ったら舞監さんに言ってとにべもなく言われてしまい、謝ったら許されると思っていた自分に恥じ入るし、こういうのが世間の標準的な反応なのだろうなと思っていやになった。自分の状態がどうあれ安請け合いしたことを悔やむ。役に立とうとすると迷惑をかける。ぼくはここにいない方がいい。

今辛うじてなんとかなっていると錯覚できるのは心配してくれる同期の優しさに縋っているだけで、他人の優しさに生殺与奪を依存せねばならぬことがとても悲しい。そんな風に人の顔色を伺わずとも決然と生きることが元気な時は出来たのだ。これからまた出来るようになるだろうか。もう辞めた方がいいのだろうか。

ぜんぶぜんぶ寒い夜だからいけないのだ。
僕は悪くない。寒い夜が自律神経を殺しに来てるだけなんだ。

『ヘドローバ』にネチョネチョにされたのめっちゃよかった

昨日は渋谷アップリンク小林勇貴監督最新作『ヘドローバ』を見に行った。

全員死刑』『実録・不良映画術』ですっかり心をぶっ殺われたのでとても楽しみにしていた。
渋谷についてから具合が悪くなったので帰ろうかとも思ったががんばって見た。
果たしてめちゃくちゃ元気になった!!!

あらすじとしては
健康を越えて不死身をスローガンにする謎の宗活セミナーを主催するババアとヤン兄弟の住む団地。3人は仲良し家族。今日もアホな信者達に変なもの売りさばいて楽しく暮らしています。
他には腰を患っているカタワ(作中の表現ママ)のヒロイン、そのヒロインと暮らす団地内清掃業の兄、脳をスマホにインストールした博士、歯医者のドラ息子などが出てきて、暴力漁業団体と戦ったり、お祭りでババアの誕生日祝ったり、ヘドロのバケモノと戦ったりします。

とにかくクソ最高の映画でした。
最初はスマホの撮影にしても音が聞きづらいなーとか、やばい兄弟は監督の好きな『殺し屋1』かなーとか、ババアが団地のボスって新しいなーとか色々考えながら見ていましたが、気がついたらグルーヴに乗って楽しく笑っていました。
『実録・不良映画術』の中で語られていた団地のエピソードや自分のおばあちゃんと仲がよかったこと、すごく弟思いなこと、親というものをあまりアテにしてないこと、保険証ないと病院行けないことなどなど今回も監督の人柄がよく出てて好きでした。

設定や展開はぶっ飛んでるけどそこに至る感情とか見せ方はとても理知的で頼もしいです。『全員死刑』もセリフが楽しい映画でしたが、ヘドローバもとてもゴキゲンでした。
「これは逆レイプじゃねぇ!私がしてんのはレイプだ!」「その通りでございますぅ…」のくだりとか好き。グルーヴが凄すぎて何いってんのかわからないところもありますが、『七人の侍』が聞こえづらさで面白くなくならないのと同じで最高です。

境界を越える描写を入れる、と前掲の不良映画術のなかでいってましたが、ウメモトジンギ演じるお兄ちゃんがヒロインをレイプする時にマンションのドアを押し開けるのとかそういうやつなんかなーと思った。そのあと一気にタバコをふかすカットに飛ぶのが気持ちよかった。
そのあと軽いPTSDでヒロインがゲロを吐くんだけど、しつこく3回も吐いてて笑うしかない。他にも歯医者の息子のいけすかないガキ(本当に滑舌とか顔つきとかがいい感じにイライラさせてくれる)をぶん殴るシーンでもゲロっていて最高。『ピッチパーフェクト』しかりゲロを吐く映画は面白いという法則にもあってる。

監督のフェチなのかヒロインとか敵のギャングの女の人のケツのナメの撮り方とかすごく肉感的でえっち。そもそもヒロインが白いタンクトップに白いショートパンツにチョーカーというのは清らかさの記号にしてもフェチがすぎる。反対にギャングの女は黒づくめだった。そう!衣装がいいんです。
セミナーの信者のおばさんがREJOICEとかWAVE Californiaとか入ったダルダルのシャツを着ててそれどこで買ったんだよ……と呆れずにはいられない。

あとヒロインのことをずっとカタワカタワ呼んでて、しまいにはそのヒロインが「全員カタワにしろ!」とあの狂い咲きサンダーロードのジンさんの名セリフを言ったり、3Dプリンターで作った銃ぶっぱなして「カイカン……!」とセーラー服と機関銃をやったり監督の映画愛がほとばしってた。
全員死刑』のドロちゃんもそうだし、今回のヒロインがカタワなのもそうだけど小林勇貴監督のまなざしは「愛は地球を救う」的なおギョウギのよさで現実をメッキするんじゃなくて、ホドロフスキーの映画にフリークスが必ず出てくるのにも似た生きている人間の肯定というか、現実の再認識として映画を作る時に都合のいい悪いを勝手に線引きして、この世にあるはずのものを排除したりしないからいいよなぁと思う。
その理論で言うと団地のボスが高齢女性というのも社会的には弱者とされてしまうのにおもろいなーと思った。

全編スマホ撮影の最大点は機動力で、カットを割るのではなくて長回しで動きまくってグルーヴを生んでいく手法は題材にも狭い団地や銭湯の湯気の中でも制約なく活躍しててよかった。
かといって絵が安いかというと全然そんなことはなく、ときおり入る鳥瞰構図は黒沢清ぽかったり、アリが這い回るカットはブニュエル?!と思ったりメリハリがあってよかった。

ここまで大事にとっといたけど中盤の銭湯での大乱闘シーンは、本当にヤバすぎて頭がおかしくなるかと思った。
まず男湯なのでみんな裸。みんなフルチン。ほとんどみんなモンモン入ってる。もちろんモザイクなんてない。
水しぶきをあげて殴り合う男たち!!!最高!!!
どんなに説明するより見た方が早い。
映画はその誕生の時から《見たことないものを見せる》見世物的な欲求に向き合うものだと思うが、この銭湯で大乱闘シーンはまさに見ちゃダメなものを見ちゃってるうううという驚きで脳が喜んでた。

小林勇貴監督は実際の不良を使うからリアリティがある、とよく言われるけどそれは微妙に違ってて本物の人を使えば本物に見える、実際に殴り合えば迫力あるアクションシーンが撮れるわけではない。
その理論で言うと人殺しの役はみんな人を殺さないと嘘になってしまうけど、実際には殺さずに殺した、怖いと思わせる技術が必要で、その技術こそが芸術だと思う。不良の人がキョロキョロしないくらいカメラ慣れしてるのに余計な力入ってなかったり、アクションシーン痛そうだけど気持ちよくスカッとしてて『全員死刑』のアクションとは差別化してあったり監督はすごい。
不良にしても地元の人にしても本当にみんな楽しそうにいい顔をしていて撮影現場の雰囲気のよさがよーく伝わってくる。監督の陽性のホスピタリティが伝播してるというか。
だからこそこの映画はヘドロのバケモノがでてくるヘンテコな映画ではなくて、男と女が愛を知る圧倒的なラブヂカラの映画なのだなーとさわやかな気持ちになった。

あとやっぱり音楽のなるタイミングと選曲が気持ちよくてアガる。『全員死刑』よりもヘドローバの方が音が好きで、1人で揺れたりビート刻んだりしてしまった。迷惑奴〜。

本編上映後のメイキング映像では監督がフルチンで銭湯のシーン撮影してて笑った。とても楽しそうなのにちゃんと安全には気をつけてた。



本編見終わって一番に拍手してて、恥ずかしいとかではなくて嬉しくて誇らしくなった。
場内は満席でよく笑い声が起こり(最初はこいつら笑いすぎだろと思ったけど次第に自分もゲラゲラしていた)、よい映画体験ができた。


ロビーには小林勇貴監督ご本人がおり、『実録・不良映画術』にサインしてもらった。
「クソ最高でした!!」というと「クソありがとうございます!」と返してくれる監督いい人。
「全員カタワにしろ!は狂い咲きですか?」「もちろんです!」というやりとりもあった。

握手してもらって(大きくて柔らかい手だった)、「これからもがんばってください!」といったあと
前にブログでおれがぶっ殺うんだよ!と書いてたことを思い出し、食い気味で「おれもがんばります!」と言えた。監督はびっくりしてた。
もちろん応援するけど人に頑張れっていう時いつもお前もな!って思うからこの気持ちはなくしたくない。

いつか監督の映画に出たいと思ったが本人を前にしたら軽々しく言えなかった。
僕の前にサインをもらってた綺麗なお姉さんが「出たいですー」っていった瞬間に、監督がその人をくっと見たのがすごく怖くて冗談めかすのはいやだなと思った。でも本当に監督の映画に出られたら過酷だと思うけどきっと幸せだと思うんだ。
役者冥利というか演じる演じない以前の被写体として楽しいと思う。

まだまだ書き足りない気がするなぁ。
リアルタイムでこんな映画を見られて東京に来たかいがあるぜよー。

ほいじゃ。

2017-12-08のレッツゴー

結論からいうと昨日に続いて稽古場に行けた。

10時から一年生ミーティングがあるので朝あわただしく家を出る。
通勤ラッシュのなかで電車に乗るのはさぞ辛いだろうなと思って売店で買ったアーモンドチョコレートをホームのベンチで無心で何個か口に入れた。
人に押されていると心が石になっていくのがわかる。
元気な時はどんなに押されても(いいぜもっと来いよオラァ)という気分で立ち向かえたのだが、いっぱいいっぱいのときはひたすら苦痛である。

遅刻もせず稽古場につく。
来たことを特別に驚かれもしなくなる。
僕にとってはだいぶ特別なことだけど。

カイロを2枚、背中と腰に貼ってるおかげで寒さは免れた。

昨日に比べると稽古場にいるのが苦痛ではなく、休憩時間の人の声も全部拾ってしまうことはなかった。
4時くらいにしんどくなったので今日はそこでそそくさと帰った。
昨日より短いが、勘弁してほしい。泣かなかったし、逃げるように出なかったところは評価したい。

帰りの電車も人が多いし気づいたら折り返していたのでごはんを食べてから帰った。

稽古大好きだったけど、今はまだそんなでもない。
自分がやってないというのもあるとは思うけど。

家に帰ると疲れて眠くなることだけが数少ない収穫だ。いうて4時間とかで目が覚めてしまう。
今日はその後二度寝してそれでもまだ疲れている。

お風呂に入ろうと思う。

2017-12-07のブルルルルルル

今日はミーティングに行けた。

昨日どうにかインフルエンザの予防接種をやったので稽古場に行く抵抗が少し減ったのかもしれない。

一昨日、客席作り手伝うといっておいて行けなかった時は申し訳なさでいっぱいだったが、今日はミーティングにいけた。

ミーティングは10分で終わった。

そのあと稽古を見ることにした。
三日前に来た時は寒さ対策を怠っており、具合が悪かったのですぐ帰ったが今日は見るつもりだったのでわりと厚着してきた。
椅子に座って眺めているとめちゃくちゃ居心地が悪かった。
みんな慌ただしく準備をしたり、セリフの確認をしたり、思い思いの活動をしているが僕にはそれがないためとっとと帰ろうかと思った。
でもここで帰ったらなにも始まらないなとがんばって座り続ける。
稽古がはじまると、なぜだか分からないけど涙が出てきてバレないようにハンカチで拭った。
この場面、自分がいたらとか想像したのがいけなかったのかもしれない。稽古着の和服、僕ならもっとちゃんと着るのになとか考えたのがいけなかったのかもしれない。僕ならもっと似合うのになとか考えたのがいけなかったのかもしれない。
やってない時にはなんとでもいえるし、ぼくはリングにあがりもせずにあがっている人をとやかく言うのがあまり好きではなく、自分もリングにあがって戦いたくて東京まで出てきたのに、丘サーファーにはなりたくないのに「俺なら波に乗れる」などと丘サーファーみたいなことを考えているのもいやだった。稽古場は探る場なのに、自分は探ることも出来ていないのに。
もっとちゃんと貝の口結びなよ、も自分が出演して着てれば人にも言えただろうけどただの幽霊には喋る口がないので言葉は身のうちで反射していた。
話しかけるのも怖いし、話しかけられるのを待ち続けるのも辛く、堂々と座っているには自信や面の皮の厚さが足りず、そんなことを今更問題にしなければいけないこともいやだった。

集中力がないというか、集中体力がないというか、つまりは体力がないのだろうけど、休憩時間が1番辛かった。稽古がはじまると舞台上の出来事に集中してればいいのだけど、休憩中はみな思い思いのことを喋りそれが全部聞こえて、こんなの初めて〜とびっくりした。全部聞こえてるわけではないけど
頭が聞こうとしてしまうというか拾ってしまう。
今までこんなことはなかったので本当にびっくりした。パニック障害の人なら逃げ出すだろうなと思ったが、僕はパニック障害じゃないのでただただ真顔でびっくりしていた。次は外の空気を吸いに出るなりすべきだと思う。集中力のボリュームのつまみがおかしくていつも最大に回されてるみたいだった。

朝からみかん一つだけで過ごしていたら四時過ぎにしんどくなってようやく外の空気を吸いに行った。
そのときも帰ろうかと思ったが、最後まで見なくちゃと思ってカバンは置いたまま出た。
腫れ物に触るように接する人はいないけれど、実際問題元気ではないのでかなり疲弊していた。
サイゼリヤでスープを飲んだ。あまりおいしくなかった。

結局6時でそそくさと帰った。「帰る?おつかれ」とか声をかけてもらえたのに相手の顔も見ずに逃げるようにして帰った。誰も邪魔もの扱いしてくれないけど、自分は邪魔に思ってしまっていた気がする。
あとワンシーンだけだったのでもう少し頑張れば今日の分全部見れたのに悔しかった。

稽古場に来さえすれば、見てるだけだから座ってみてて毎日出来ると家で寝込んでる時は思ったが実際には大変なことだった。最初だからこんなものなのかもしれないけど、ならもっと早くから来とけばと思うし、すべての行動にありもしないゴーストが見える。マリカーのベストの幻影みたいなやつ。

帰ってきて4時間スコンと寝れたのは助かった。
寝れないよりは寝れた方がいい。汗びっしょりで起きるのはいやだけど。
明日も一年生ミーティングがあるので稽古場に行く。
明日もがんばるんだ。

いきたい東京コミコンいけない

今年も幕張メッセで、東京コミコンが開催された。

2回目の開催だが、一昨年の12月、六本木でプレイベントというのをやっていた。
なぜかそのとき岡山から東京に遊びに来ていた僕はその日Twitterで開催を知ってのぞきにいった。フィギュアとかコスプレの人とかすげーすげー言いながら写真を撮り、せっかくだからとマッドマックスのTシャツを買った。Twitterのフォロワーさんにも挨拶できた。その時は小さなイベントスペースで、来場者も出店ブースもそんなに大きくなかった。
その1年後、僕は東京に住み、東京コミコンに行くことになる。

コミコンというのはアメリカ発祥の映画、コミックの夢の祭典。ハリウッドスターの登壇するセレモニーとかアメコミ作家さんの実演とか、トレーラーの初解禁とか色々ある。
今年はスタン・リーやマッツ・ミケルセンマイケル・ルーカーカール・アーバンといったハリウッドスターが来てるし、ブースがたくさん出ててとりあえず楽しいところである。

去年開催された時もお金はなかったが(岡山におった頃の僕がこの状況で行かなかったら悲しむよな)というセルフ供養の精神でDVDを売ってチケットを買った。
まず幕張メッセまで遠いので結構気合がいるが、とりあえず行ってみたら楽しかった。スターと写真が撮れたりサインしてもらえたり限定商品なんかもたくさんあるがそれは見るだけにして、写真を自由にとっていいコーナーが沢山あるのでバットマンの衣装とかシン・ゴジラのスタチューとかアメコミのフィギュアとかパシャパシャしまくった。だいぶヘトヘトになったが、来てよかったーとしみじみ思いながら帰った。
その時強く思ったのは場に赴くということの神秘性で、お金が無いとか時間が無いとか行かない理由を見つけるのはめちゃくちゃ簡単だけど、行かないと味わえないあの空気感は一生モノだなーとおもった。
はしゃぐ相手と来れたらもっと楽しいだろうなーと思った。

そして今年。
3日間指をくわえてTwitterを眺めた。
仮に行ったとしても写真撮るだけだったろうから、流れてくる写真や動画やマッツやルーカーさんの神対応エピソードにほっこり出来てよかったと思う反面、行けないこともない距離で開催されているイベントに行かないというのは仕方ないと思っても切なかった。
そうやってなにもかも仕方ないで済ましていたらダメだと去年の僕は身をもって示したのに、今年はダメだった。
去年よりも来場者が多かったように見えたのでそこは喜ばしい。その人混みにこの1年で認知度が上がったんかーとか思いたかった。

去年、一昨年と縁があった分、勝手にわしが育てたくらいの、皆勤して懐古厨になれるレベルになりたいなーとかしょうもないことを考えたりした。

来年は、来年こそは。

2017-12-01のふみんふふみんふふふみん

11月30日の夜、家賃を払いに行ってないことに慌てて空いてる郵便局を探して電車に乗った。
本局なら24時間対応のはずと思っていたがそれは引き出しのみで預け入れが出来ず、残高がないので送金も出来なかった。
学びがあったが寒い中徒労だなーと悔しかった。昼夜を問わず寝てしまった後悔と苛立ちもあった。
ガス代だけは払えた。

家に帰って寝ようと思っても1日寝ていたのだから眠れない。
熱いから熱を計っても平熱で火照るだけ。どうやら自律神経がバグってきてるらしい。

朝7時まで寝られないからもうイライラして家賃を払いに行った。払えた。
映画も見てやる。今日はもう寝ないで夜無理やり寝て生活リズムを無理やり戻す。

ローガンラッキーを見た。
ソダーバーグの映画で、オーシャンズ13はなぜか父親と2人で見に行った思い出がある。11と12見てなかったのに。
見てて心地よいケイパームービーだった。個人的には『ベイビードライバー』で物足りなかった部分、計画立案、実行のサクサク感の気持ちよさが味わえて嬉しかった。そこまで期待してなくてTwitterの評判がいいから見ることにしたけど大正解だった。寝てない頭でも面白いのだから元気な時にみたらもっと面白いかもしれない。アメリカの田舎の人の生活感はよく分からないけどカントリーロードにあんなに胸を熱くできる人たちは素敵だなと思った。
星条旗パンツとかアメリカラブな感じが出てて日本だとこういうのないなーと思った。
チャニング・テイタムがお父さんとか最高じゃないです??娘役の子がキュートだった。
アダム・ドライバーのボーッとしてる感じでやるときはやるのとかも好き。
ダニエルクレイグもライリーキーオも出てくる人みんなチャーミングなので素敵です。

この時点でそこそこ疲れたが、そばを食べてもう1本見ることにした。
ホドロフスキーの『エンドレスポエトリー』。
公開からずっと見たかったのに生活リズムと合わなさ過ぎて今日を逃したらいつ見れるか分からないと思うと乾燥してきた目を擦りながらでも見るしかなかった。
三年前『リアリティのダンス』を見た時は小人の人たちがトラックで連れていかれたり、お母さんがおしっこをかけたらペストが治ったりするシーンで何が何だか分からなくなり、一緒に見に行ったG2とヤバイヤバイとしか言えず、その前に見て大いに感動した『ホドロフスキーのDUNE』で得られた興奮を微塵も感じられなかった。
でもこの1年で『エルトポ』『ホーリーマウンテン』『サンタサングレ』『ホドロフスキーの虹泥棒』『ホドロフスキーの惑星』とホドロフスキーの映画を見て毒に耐性がついたからなのか、今日のエンドレスポエトリーはちゃんと最後まで楽しく見れた。
寝てないからボーッとしてたのがよかったのだろうか。目が乾いたせいだと思うけど終盤涙がよく出た。泣く時のあの鼻に抜ける蒸気みたいなのを観測出来なかったのでただの乾燥に対する反応だとは思うが、それにしてもええ話やなーと思った。
詩人になりたいのに家族に反対されて家を飛び出すというくだりは、高3の時に軽躁由来の全能感から高校をやめて詩人になるといって担任を困らせた前科のある身としては行けー!やれー!と思った。
一般的な劇映画ではなくて超現実というか超説明な映画だった。詩に目覚めてない大衆は皆同じお面だし、黒子がアイテムを出したり消したりするし、お母さんはずっと歌ってるのは芸術的で人の話を聞いてないってことだろうし、運命のミューズは赤い髪で白塗りで女子プロレスか歌舞伎の鏡獅子みたいな奇抜さなのはそれだけ強烈に重要ってことだし、演じてるのがお母さんと同じ役者というのはそれだけコンプレックスを投影してるということだし、従兄弟の男の子とキスして興奮しなかったから自分の性を把握できたーと思ったら大人に変わるし、自我についての話なのでたくさん鏡が出てくるし、赤は魂の色で白黒は死の色でその二つが混ざるカーニバルは悟りの境地で嬉しいなーとか。目に見えるものから得られる物語が規格外すぎてついていけなかった三年前のリアリティのダンスより起こっている物事の意味だけ見つけていけばお話についていかなくても心意気はよくよく分かった。
自伝的な映画だけどそんな感じなので再現ドラマ的考証はほぼない。極めつけはパリに向かうために父と別れる場面、実際には今生の別れの上に顔も見ずにいったようだが、映画の中ではきちんと抱擁してありがとうと言っている。しかもホドロフスキー役もホドロフスキーの父親役もホドロフスキー自身の息子たちが演じており、更にホドロフスキー本人もその場にいて今これを読んでる人もうまく想像出来ないと思うけどホントにそういうシーンなのです。
父親との軋轢を自分の息子を使って作った映画で癒す、許すというredemption的展開はとても好みでグッと来た。グッと来たといえば“親愛なる友ミシェル・セドゥーに捧ぐ”という献辞は『ホドロフスキーのDUNE』でプロデューサーをしてくれながら映画の頓挫のせいで30年連絡も途絶えていた、まるで事故で失ったわが子を思い出すのが辛いから離婚して暮らしていた夫婦のような、あの最高の相棒ミシェル・セドゥーに触れてくれてとてもとてもグッときた。僕の中のブロマンス萌えが大気圏突入だった。
話を戻すと、父、自分、息子たちと3代に渡るホドロフスキー家のお葬式というか、供養、追善の風格があり、寺の息子としては思わず手を合わせたくなる。生きていくということは絶えず許すことの連続で、それはままならないことの方が多いのだけど映画という虚構の中でなら思ったよりうまくそれが出来たりする。だからこそ芸術は、映画は、虚構は素晴らしいと思うんです。

今こうやって言葉にしてみたら思ってたよりも感動していたのだが、見たあとは体熱いし気持ち悪いしそばを吐いてすぐ帰った。
映画を二本見て二本とも楽しめたのは珍しく嬉しいことだったのに、頭の中ではどうしてまだインフルエンザの予防注射いけてないのか、どうしてまだ稽古にいけてないのかという声がずっと聞こえている気がして、もしかして統合失調症の諸症状のひとつ幻聴だったのではーとこれを書きながら思い返している。こうして気づけるうちは幽霊だと思ったものが柳だと分かったみたいで大丈夫かもしれないが、柳を怖いと思った気持ちは嘘じゃないし、先月はもっと楽しめたことを思うと悪化してるのかもしれない。決起会からこっち、1度行けたのならずっと行けるのだという妄執に囚われていて改めて行けないという後退にイライラしているらしい。おまけにまた食べられなくなった。
誰も映画にいけるなら稽古に来いよとは言ってこないのに、もう100人くらいに言われた気分になっている。
先日ミーティング2つ出れなかったのが悔しくて、それ以来悪化してるので多分それが出来ればこいつは成仏するはず。
などとうだうだ考えています。


結局16時に寝て22時過ぎに起きてしまい、無理やり生活リズムリセットが叶わなかったので今日はこんなに長々書いている。
映画面白かった楽しかったねの一言で終えられたらどんなに楽かと思うが、もはやこれも仕方がない。

レクリエーションとしての焼きそば

今日は12時まで寝られなかったので朝、洗濯ができた。天気がよかった。

寝る前になぜかホットケーキを焼いてみたくなりスーパーまでホットケーキミックスとかを買いに行った。朝10時に街に出るのが久しぶりで、新築のための地鎮祭をしていたり、スーパーの惣菜がまだ出来たてだったり、日差しのせいもあるが世界が少し彩度をあげた気がした。

なんかそういう気分になりカフェオレも買った。
ホットケーキは小学生の頃の土曜の朝ごはんになることが多かった。実家だとホットプレートで焼いた。
牛乳を余らすのがいやだったので水と卵を混ぜてミックスを加えたものを焼く。
1度濡れぶきんでフライパンを冷ます、油を引かないという箱裏の記述に従ってみると、やや薄いものの円全体が均質な焼き目が着いた。フライ返しがないのでうまくひっくり返せなかった。バターを落として食べたら、出来立てだしほんのり甘くておいしかった。温かいものを当分食べてなかった気がしたがそれは気のせいである。たしかにここ数日食パンしか齧ってなかったかもしれん。
2枚目は1枚目にかけたバターがフライパンに落ちたせいで焼きムラがついたしわりと焦げた。しかしながら見た目も風味も実家でよく食べたあのホットケーキに酷似しており、母さん油は引かん方がええみたいやで、と思いながらもぐもぐした。
1度濡れぶきんで冷ました方がなんか良さげになるらしいということを知ったので、濡れぶきんバターなしで3枚目を焼く。2枚めを頬張りながら焼いているので食いしん坊感が演出された。
焼きあがりは3枚目が一番上手くいったが、さすがに素ホットケーキを2枚食べたあとだと美味しさが分からず半分食べたところで箸を止めた。
カフェオレがおいしかった。

横になると気持ち悪くなったのでせっかく作ったホットケーキも吐くハメになったが、作りたいという気持ちに素直に行動できた点は高く評価したい。

目が覚めると4時過ぎであんまり寝られず頭が痛かった。
ジャスティスリーグ見に行こうかなという気があったが、布団から動ける気配がなく気のせいだった。
そういえばこの前の決起会から稽古に行けてない。うまく調整ができず今日も行けなかった。

相変わらず食欲はわかなかったが、どうやら三日前に唐揚げを食べてからこんな感じだなということに気づき、揚げ物は食べれても後日状態異常を起こすという推論を得た。
そこで食欲のことは無視してとりあえずなにか作ってみたいという決起会のカレー作り以来の創作意欲を信じ、スーパーに向かう。
エスカレーターを降りてるところで焼きそばありやなと思ったのでキャベツと麺を買った。

実を言うと一人暮らし5年目なのだが、ほぼ自炊らしい自炊をしてこなかった。宅飲みとか人んちでごはんを作る手伝いは率先してやっていたが、大学時代からレンジに頼っていたので炒めるとかしていない(備えつけの電子調理器が壊れてたというのもある)。鍋をレンジで作るようになったのも昨年の冬からである。
今回母がカセットコンロを導入してくれたおかげで今朝のホットケーキに続いて焼きそばが作れるというわけである。
空腹時に買い物にいくと買いすぎると聞いたことがあるが、調理までの間食すらも買わないのでこの状態も悪くない。
家でじっとしてるのはつらいが、食材をきったり炒めたりするのはレクリエーションとして楽しい。
やってみたら思ったよりうまく出来なかったが、食べてみたらおいしいなと思った。なにをするにもうまく出来ないと思ってしまうのは諸症状のひとつなので仕方がない。レクリエーションさえ出来ればと思っていたが成果物を摂食することが出来てよかった。
今日の偉いところは食べたあとすぐ片付けまでやったところなのでこれは次回へのモチベーションも担保されることだろう。
焼きそば食べ終わったら、早食いが治ってないせいで満腹感がなかったが今日既に1R(リバース)しているし追い討ちはやめることにしたのも偉い。

暗い部屋でじーっとして寝たきり雀になっていると意欲もなにもなくなるが、ふと料理を作るという新しいタスクに挑戦してみると切れ切れだったシナプスがかろうじてなんとかなる気がする。
元気になっても意味無いとか自分ひとりだと作ってもおもんないとか言わんとやってみるもんである。

明日もなにか作る気になれたら嬉しい。
いつか小林銅蟲先生のパルみたいなことが出来たらかっこいいね。