テラノハ

言葉は涙だ。とベケットは言った。

三寒四温もうええてー

元気です。わりと。

昨日はいい天気すぎて今年こそ晴雨兼用の傘を買おうと決意を新たにし、メガネを調光レンズにしようと思った。
この前同期に「(この中で)いちばん黒いよ」と言われて、腹黒ってことかと思ったら日焼けのことで、やっぱり僕は地黒なんだなーと思った。半年日光から逃げるように暮らしてたのと血行がゴミだったから血色がなかったんだろう。
元気です。わりと。

ここ最近は稽古が楽しい。
とりあえず稽古イップスとかではなかったことが自他ともに認められそうなのでひと安心している。
やはり作品を立ち上げたり共同でなにか作っていくというのは不思議で楽しい。
演出家さんとは「芝居が陰気」と言われたことに対して
「素が出ました。気をつけます」
「いやな男だねぇ〜」
となごやかな会話を楽しめるようになってきたのでそれもまた重畳。
最近は日々穏やかで係の仕事も着々と粛々と勧められているのでなにも怖いことがない。
つい今年の一月くらいにはなんてことない作業に一憂に次ぐ一憂だったのに、脳機能と消化器官さえ回復してしまえばなんてことはない。
健常者に遅れをとらないぞーとよく分からないルサンチマンを滾らせながら日々おだやかに生きています。
ちゃんとテストステロンが出ているらしくヒゲの伸びが早い。

元気です。わりと。
先週は奥多摩の三頭山に同期や後輩8人で登った。
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週6の稽古のあとの1日の休みを山のぼりに行くなんてとんだアクティブ人間になったものである。ネガティブでもアクティブは両立できると思った。
山登りに意味を見いだせない人もいるが、山登りには意味があった。精神も身体も気分がよかった。それをやったことない人に教えるのは難しいのだけど、人生のあらゆることがそうではなかろうか。
そもそも人生に意味なんて求めること自体がナンセンスとかいってみる。

あとレディプレイヤーワンみました。
あれまじクソやばい。二日続けて見に行った。
ただの祝祭。redemptionがちゃんとあって好きだった。ほんま泣いた。好き。ありがと。

いぬやしきとか娼年とかクレしんとかも見に行きたいけど今日は目黒シネマで大林宣彦2本立てです。
あとのんさんの個展にも行きたい。
やすみ、やすむのと遊ぶのとほしいけど、まぁしゃあない。

伊達男、やたらに花をあげたがり

花をあげるのが趣味である。

特に理由もなく花をあげると気味悪がられるのでなにか祝い事、舞台の初日とか千秋楽、スタバでライブをする先輩とかにあげる。誕生日はまだ勇気が出ないのであげたことがない。
昨日は白いラナンキュラスを一輪ずつ3人に渡した。
同期2人と4期上の先輩に。
きっと人間関係のストレスの皺寄せはそういう若手に向かうのだろうから、花でも贈ってみたくなったのである。
「がんばったね」も「がんばれ」もあれこれ言葉にするより勝手に花を見れば浮かんで来そうな気がする。花言葉までカバーしてないけどとりあえず白くて豪華な花だったのでそれにした。
花は意外と高い。一輪ずつだけど3人分なのでわりとバカにならない。
お金がなくなったので昨日の夜海街diaryのブルーレイなどを売りに行った。
自炊して必要経費を抑えているのはこういう時に逡巡なく花をあげたいという衝動に従うためである。
衣食足りて礼節を知るという言葉があり、ある種の真理であるが、僕は気位が生来高いので人に花を贈れる自分に酔うだけで食費とか全然削れる。
自力収入がきちんと得られるようになってもこの趣味はなくしたくない。いやむしろいまからその心意気を育てておかないと一生吝嗇の守銭奴だと思う。
お金は兌換してナンボである。花の代金を人に握らせても面食らわせて怪しまれるだけだけど花にして渡せば驚いたり喜んだりしてくれる。

僕は別段イケメンでもないけど伊達男にくらいはなれるし、なりたい。
やたらに花を摘んできてこの趣味の素養を育ててくれた母に感謝する。

ヘソマガリの良心について

急に寒かったりいい天気だったり、春ですね。

昨日は『ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル』と『ペンタゴンペーパーズ』の二本を見ました。
ジュマンジ』は底抜けに明るくて楽しくて、ゲーム映画として気持ちいいことしか起こらない上にキャストの見た目と演技がとてもキュートでひたすら楽しかったです。見てる間楽しくて週末を愉快にしてくれる作品です。

もうひとつの『ペンタゴンペーパーズ』はスピルバーグがたまに撮る現実と対決しちゃらぁと気骨が真っ直ぐなタイプの映画です。トムハンクスがいかつい編集主幹をやっててかっけかった。メリルストリープ、正直あんま好きじゃなくてなんか圧が苦手なんすけど今作では社長未亡人で跡を継いで社長という気性の強さの活かしにくい、でも芯はしっかりしてる役でかっこよかった。男ばかりの新聞業界にあって女の人をあれこれ操縦指図してくる輩(そういうやつ大体「君の為をおもって」とかいうてくるけど、いやお前の為やろとおもう)がいても負けてなかった。
お話の基本線は政府がベトナム戦争について作成した秘密文書を新聞に載せていいのか否かという所のスリルとサスペンスで盛り上がってます。
別に誰も襲われたり血を流したりしないけど、政府に反逆するということの危うさに尻込みする人と新聞屋の意地のぶつかりあいみたいな感じ。
トム・ハンクス演じるブラッドリーはめちゃくちゃ破天荒で、でもかっこよくて『ドリーム』のケヴィン・コスナー演じるNASAの部長くらいかっこよかった。
へそ曲がりが頑張ってるっていうのはやっぱり燃えてしまいます。僕自身がだいぶへそ曲がりだからだろうか。『シン・ゴジラ』の巨災対がオタク、問題児、鼻つまみものなどと呼ばれる人の集まりであったこととか、『オデッセイ』でワトニーを助けにクルーたちがNASAの決定に背いたとことかすごく熱くて好き。
個人を守るために制定されたはずのルールが時に個人を見殺しにしそうになったときに何が正しいかを考えて行動できる人はいつの時代もいたと思うし、かっこいいなと思う。
維新150年で盛り上がってるけどあれも政府に疑義を呈した反逆の事件だと思うのだが勝った方が偉いのでいいことになってるんだなぁ。『突入せよ!あさま山荘事件』と『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を両方見ると勝った側の美化具合に苦笑いできるのでオススメ。
まぁ人間なんてそのうち死ぬので大したことは出来ないけど、権力は大したことをやるので気をつけましょうという気持ちになった。

稽古は順調に怒鳴られている。
へそ曲がり的には「イライラするなぁ!」とか「(もっかいお願いしますと言ったことに対して)お願いしますじゃねーよ!」といちいち切れてる老演出家は可哀想な生物にしか見えず、いたたまれなくなる。演技に対するダメだしは演出家の領分だと思うが、自分の機嫌の悪さを表明して発破をかけた気になり、自覚的か無自覚的か稽古場の空気をコントロールしてる人は本当に哀れである。
むろん再三繰り返すが演出家の人格は問題ではない。「でもほんとはいい人なんだよ」という一言で彼の話題がいつも終わることが僕には不服で、いい人でもいいやり方ではないでしょ?ってキレている。
未熟な人間を指導する以上思う通りにはならないことはある程度織り込み済みであり、それをいかにその気にさせるかが手腕の見せ所だが「強く打てば強く返ってくると思ってる」と自信満々に宣う男には変化や進歩を求めるだけ無駄だなーと思う。
それだけ理不尽な対応をしておいて人々からいい人といってもらえるのは実際いい人だからで笑顔がチャーミングであるが、DVするやつだってたまには愛してるとか言えるし抱きしめたりできる。壊れた時計でも日に2度は正しい時刻を示す。
まぁ僕は自分の未熟さを理由に手心を加えてほしいなんて思わないし、バチバチに殴りあっていろんな意味で黙らせたいのでやるしかない。

最近話題のアラーキーにも通じる問題というか、一言でいえば時代が変わってることに気づかないまま裸の王様をやってたんだなーと思う。これがきっと女の人だったらここまで放置されてなかった気がするので非対称性にはイライラする。
王様は王様でも
「命を与えるのが神
命を救うのが医者
命を守るのが王族だ」
というバーフバリリスペクトをしていきたい。今年はアマレンドラ・バーフバリと綾瀬千早みたいに生きていけたらと思う。
強さをあげられる人になるぞ。おりゃあああああ!

2018-04-05の毒

イライラしている。
暖かくなったかと思ったら寒くなって情緒が変になったのもあるのだろうが、お金が無いせいでイライラしている。
より精確を期すなら今後の生活にかけられるお金の計算を意識無意識問わず気にするがために脳の処理メモリを常時食われているので落ち着かない。
実家から仕送りをもらって恵まれた家庭環境で東京で好きなことをしておいて、なにを偉そうにと説教してくるタイプの他人は強めのグーで殴っていく。今年の僕はオラついているんだ。

お金は使うと無くなっていく。知ってましたか?

さっきキングスマンとゼログラビティのブルーレイを売ったお金を足して実習費を払った。納入期間中に納めたので窓口で経理のおばさんAに褒められたが、別に嬉しくもなんともない。なるべくならこの窓口には寄り付きたくない。早くむじんくんにしてほしい。
以前滞納した時、「ここは事情を聞くところじゃなくてお金のやりとりするところだから」とおばさんBに言われ、後に親の金で納入にいったら顔と名前が一致しないのよーと自分の脳の処理能力の低さを恥ずかしげもなく開陳できる厚顔さに軽く目眩がしたので以来、嫌いである。
とにかく今日の僕はイライラしている。

僕は別に誰かの内弟子になったわけでも徒弟や丁稚をやりに東京に来たわけではない。
親の金で暮らしてるニートだとなじられることもあるが、少なくとも僕はそうやって他人の懐事情を斟酌して他人を傷つけようとは思わないのでそういう低級な人とは一緒にならなくて本当によかった。
そもそもバイトしてたり苦労してることを称揚しないとやっていけないのはすごくグロテスクだし、高校野球箱根駅伝と同種の苦しんでる若者を安全地帯から鑑賞して感動していられる人間の下卑た好奇心に吐き気がする。
今の日本で生きるというのは忠誠を誓うおじさんを選ぶことでしかない気がしていて(これはニートにありがちな書生論なのだが)、少なくとも僕はどのおっさんにも忠節を尽くせない。

人はイライラするとアタリがきつくなり、お金や時間の余裕のある人は他人に対しても優しくすることが出来る。幸いにも僕は金を稼ぐ能力に欠けるがゆえに余裕をもって自分以外の現象界と対峙できる。今はその余裕がなくなったのでこのようにざらついている。
まぁなんかイライラするのも疲れるよね。


先日稽古場で演出家から「やる気がないなら帰れよー!」ともはや伝説上や再現ドラマの中でしか聞かないフレーズを送られてすごく面白かった。
よくもまぁぬけぬけとそんなセリフを表現者・創作者の端くれの人間が言えたもんだなーと半ば感心半ば呆れた。
自分のことは進歩のないジジイだと思ってろとのたまっておきながら、他人には忍従や改善を迫るその背反には軽く目眩にも似た苦笑いが浮かぶだけである。そういうやり方で今まで世界になかったものが生まれることはなく、進歩はなく、その演出家以上の表現者は芽を摘まれていく(その演出家以下の表現者はそれなりにはなれるとも言えるし、萎縮してダメになる確率も高い。僕がその演出家以上だとは現時点では思わないが少なくともそうなりたいとは思う)。
別に公立の学校ではないので建前として平等を説かれたいとも思わないが、一個の人間として非効率的なまま、それでもなおのうのうと愛されることに疑いのない人を見ると、いい時代に生まれましたねーと思う。
社会生活を営む上で問題のない精神疾患を性格と言い換えているだけだと常日頃思っているが、本当に周りを踏みつけて生きていける強さは本当に羨ましい限りである。
別に厳しいのは稽古のやり方だけで、普段は体は悪いが気の優しいじいさんだから彼の人格を攻撃したいわけではなく、自分のやり方の現状を認識しておきながらその妥当性を直視せず、年齢を盾に甘えるあたりが実に不快である。
そういう人たちをいろんな意味で引退に追い込めるように僕は早く一人前になりたいものである。

やはりイライラするとたくさん書いてしまう。
人を殴りたくなる気持ちを現実で晴らすのよりネットで獅子吼するしか能がない方がいいのかもしれんな。
でも僕は現実に言葉で対決したい。陋屋で窮す気はない。

とりあえずごはんでも食べます。

供養≒リメンバーミー

この前『リメンバーミー』を見た。
メキシコの死者の日は『007スペクター』から流行りなのか、BVSにも出てきたし、デルトロが製作した『ブックオブライフ』というアニメもよく出来てた。
正直ビジュアルとか話の展開とかもう出来るとこは残ってないのでは?と思っていたけどそこはさすがディズニー×ピクサー
死者の国に生者がいくことになり、なんやかんやあって生還を期すというのは神話にもよく出てくるプロットである。オルフェウスしかり黄泉比良坂しかり。
映画でもバックトゥザフューチャーがモロこの類型で、リメンバーミーでも写真が重要なマクガフィンだったことをおもうと、スマホで写真を撮る時代でも物質としての写真には価値があるなと思った。

もちろん歌曲の良さは申し分ないのだけど、寺の息子的に燃えたポイントが何個かあって、主人公ミゲルは代々続く靴屋の長男、先祖が音楽をするために妻を捨てたことから妻その人(ママイメルダ)によって5代に渡って音楽を禁じられている。
ミゲルは隠れキリシタンよろしく音楽を愛しているのだけど、祖母を筆頭にその姿は烈火のごとく怒られている。家族のルールが一番大切なんだよ、という愛の歪さが毒親っぽくて、反抗期なりたてのミゲルは家を出る。
うちはそんなに代々続いてもないし毒親でもないのだけど、家族の中だけで発動しているルールによって個人の安寧を脅かされたようなことは覚えがある。
『モアナ』も同じようなテーマだったけどディズニーは少年少女よ家を出よ……そして、というのが流行りなのだろうか。
この【……そして】に当たるパートがちゃんと後半にあるのでそこの融和、redemptionが個人的にカタルシスだった。
『リメンバーミー』の基本テーマは死者の死であり、それは忘れられてしまうことによって起こる。
寺の息子的にはここの供養追善な感じはわりと萌えた。

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ほんで先日本郷にある東大仏教青年会というところで山本空外上人展を見た。簡単に言うと浄土宗の偉いお坊さんでうちの祖父・伯父・父の師僧ということになる。
ネットで検索してもそれなりに逸話や伝説が見られると思うが、僕には幼少期から口承芸能のノリでよく聞かされた上人の事績・墨蹟、作陶の数々をやっと伝説でなく現実として見る機会だった。
上人がいなかったら祖父はお坊さんになってなかっただろうし、それはつまり祖母と結婚して父が生まれることもなく、母と結婚して僕が生まれることもなかったわけで、すごく不思議な縁を感じる。
血も繋がってない人によって自分のルーツが大幅に決められていた、というのは改めて気づくと本当に意味がわからん。無量寿だね。


宗教は胡散臭いイメージがあるのでネットではあまり語るべきとも思わないのだけど、僕という人間を規定する上では避けては通れない部分なのでベラベラ自分語りしてみた。
この企画展は十七回忌に合わせたものらしく、これもある種のリメンバーミーである。いやミーのことを思い出してるんじゃなくてheのことなのだけど。
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クセがすごいんじゃ。
ほいじゃ。

いきなり暑いやん

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写真は新宿御苑の桜です。

にしても急に暑くないですか?
服の調節も情緒の安定もままなりません。
色んなものが芽吹く季節というのはわかるにしても地球も人体も設計が雑です。いやむしろ季節感のない生活を強いられていることの方が病理なのか?などと詮無いことを考えてしまうのも春の花ざかり。

最近は体を動かせるのが楽しく、同期と同じ時間を過ごせること、後輩たちがみんなかわいらしいことなど嬉しいことが多くて特に天気以外でイラつくこともないです。

先日、川崎市民ミュージアムでやってた『みうらじゅんフェス〜マイブームの全貌展〜』にいきました。
最終日の残り1時間で駆け込んだので早足ではありましたが、誕生から還暦に至るまでのありとあらゆる記録や蒐集物が一堂に会しており、その網羅的で全容の把握しきれない人柄の一部を垣間見ました。
小さな自慢として、見仏記の取材で瀬戸内に来てたみうらさんといとうせいこうさんに声をかけて一緒に船に乗ったことがあり、あのお2人のレジェンド仲良しっぷりに萌えと憧れを抱いています(映画も見に行った)。

みうらさんの幼少期はすごいおぼこい少年で、一人っ子でかわいがられて育ったんだろうなーってのが伝わります。会場に流されてたVTRで山田五郎氏もいってましたが、小学生でオリンパスpenを持ってるのはなかなかの好条件だなと思います。
美大生だったころの写真は長髪であるもののサングラスをしておらず、一瞬誰か判別がつきません。
幼少期のマンガブーム、仏像ブームからディランブーム、ゆるキャラブーム、冷マブームなどなどまで本当に頭おかしいくらい色んなものがたくさんありました。
僕は中二の頃、厨二病だったので、将来僕の記念館が建つかもしれんから資料として残しておこうとかしゃらくさいことをいって小学校の頃のノートとかまで捨てずに母から呆れられてましたが、みうらさん、というか三浦家はめちゃくちゃ偉いと思います。きちんと残したい、意味もわからんけどとりあえず集めたい、報告したいという欲求に忠実で、それを周りの人が止めたりバカにしたりしなかったからあそこまでの人になったのかなと思います。蔵を潰すくらいのどうしようもない熱量で、なおかつ都会で生きていけるのは本当に憧れます。
前述のVTRの中で「逆断捨離」という言葉が出てきてなるほどなーと思いました。断捨離ブームやミニマリストブームとかものを持たないのが流行りですけど、そういう切り捨ての中には文化は育たないと思います。生活者としてはそれが慎ましくて正解なのかもしれないけど、それを他人に強要してくるのは違うと思います。

我が家の男子はものを集めるのが好きなのか、亡くなった祖父や伯父は蒐集癖がすごく(父はあまりこだわりがありません)、祖母と父と母は伯父をやや呆れた目で見ており、先日帰省した時は僕もまとめて父から「あにさんとお前のはもうビョーキよ」と言われました。おー。実の父からビョーニン扱いされるのはもう何度目かわかりませんが、もうへっちゃらです(ビョーニンってレーニンみたい)。

みうらさんもそうだし、僕の敬愛するギレルモ・デル・トロもそうだけど、ポップカルチャーに生かされた人がその愛に忠誠を誓った結果、世界を変革する一隅を占められるのをみると我がことのように嬉しいです。いつか僕もそうなりたい。
オタクはオタクでも画面にかじりついて陋屋に窮す気はサラサラなく、荒涼館(デルトロの自宅兼仕事場)みたいな蒐集物の大伽藍を建てて笑顔で暮らしたいです。


みうらさん関連で面白いインタビューを読みました。
https://suumo.jp/town/entry/koenji-miurajun/

あんなに愛されてたはずのみうら青年も親からエロ本を叱られて上京するくだりなど、地方からの上京者として似たものを感じます(ぼくはエロ本を叱られてないけど)。中でも30まで仕送りもらってたくだりは最高かよの一語に尽きる展開。時代も物価も家庭環境も違うからあれだけどおおらかでいい時代だと思います。
先日いったこだまさんと爪切男さんのイベントがあったスナックで燃え殻さんとお話する機会があり、40まで何しててもいいし、それを許してもらえるのは才能だと思うよと励まされたので僕ものうのうと暮らしたいです。ま、40より早くなにがしかのことで世間と格闘したいのですが。

みなさんもお花見などして死体の埋蔵などを夢想してお過ごしください。

アブナイ春あやうい夜

人生において括れるものは二つしかない。
肚か、首か。

髪の毛もくくれるよーっていうタイプの人は僕と同じで周りから距離を取られていませんか?生きづらかったら心療内科にいって処方してもらってください。

最近は面白いことを面白すぎると感知する脳の状態になっており、俗に言う木の芽立ちである。
世はまさに大スプリング時代、春の花ざかりです。
先日好きな先輩と道で出会い、あちらから声をかけてもらってようやく気がついたんですが二言、三言会話しました。
「お前、なんか独り言ブツブツいってたよ」
「え、まじすか、こわ、最近あれなんすよ、春先の危ない人の一味なんすよ」
「危ないのは知ってたよ」
などと楽しい会話でしたが、無意識にブツブツやってたと聞かされ、すごく怖くなりました。

基本的に人よりも瞬きが多くて、たぶん自律神経に問題があるか、石原慎太郎の霊が乗り移ってるんだと思うのですが、最近は話を聞く時に集中しすぎてまじまじと見すぎてよく引かれます。
スーサイド・スクワッド』でジョーカーを演じたジャレッド・レトが役作りの参考に精神病院で患者と面会したときのことを話していて、じーっと対象を見つめ続ける、触ることに遠慮がない、などのエピソードを披露してました。
いや、患者側になってもうとるね、これね。
触ることには恐怖感があるのでまだ大丈夫ですが、視線を切れなくなるのは怖いです。
川端康成が『伊豆の踊り子』撮影中、吉永小百合をガン見してたエピソードもありますね。
どっちにしてもいきづれぇわ。

最近見て心をぐわっとされたものや人は大体肚を括った人や眦を決した人で『ちはやふる 結び』の競技かるたをしてる俳優はみんなそうでした。
凄くかっこよかった。最近バタバタしてるからあれだけど、一人ひとりのよかったところを詳述したいくらい好き。もちろん俳優部だけじゃなく照明部、撮影部、音響部、衣装部など全部の総体としての映画の凄みなんだけど。

あと『江戸は燃えているか』を当日券で見て、めちゃくちゃ面白くてマユマツオカ好き〜って惚れ直しました。
出てる人の色気がすごくてやっぱり舞台はええな、と思います。三谷作品のあてがきの華やかさはいつか真似してみたい。演劇は肉体による再現性を担保された複製芸術だと思っていて、そういう意味では三谷作品が死後も残るためには早く上演権を許諾しやすくなれ〜と思います。
三谷さん、アブナイ女が好きなのかなー、あ、小林聡美さんと結婚なさってたし、そりゃそうか。でもやっぱり若い子も好きなんだね…女の人なんてとりあえず色目使う生き物だと思ってんな〜などなど普段映画を見て感じる監督のリビドーが作演出の男からダダ漏れで面白かったです。
本当に楽しくて拍手したりませんでした。ゲッラゲラわらえた。ずるかった。
三谷さんはやっぱり演劇の畑の人であって、もう映像で語らずにセリフで説明しちゃうなら映画は撮らなくていいのでドラマと舞台を頑張っていただきたいです。

ほんで昨日は神楽坂のスナックで『夫のちんぽが入らない』『ここはおしまいの地』のこだまさんと、『死にたい夜にかぎって』の爪切男さんのトークイベントに行きました。
おふたりとも想像通りの体格と想像以上の毒をしていて、なんか妙に安心しました。
本当に楽しくてアブなくてちょっぴり大人になった気分でしたが、ここでいう大人はだらしないまま大きくなってもいいんだという程度の意味です。

東京はよいところです。
なんぼいうても地方にはないものはたしかにあるので。
逆もしかりだけど、今は東京をねぶり尽くさせてくれ。

狂い咲きサンダーロードもっかい見たい。
ほいじゃー。